第905話 命の予防線
「『人民寺院』とか思い出すね」
「あー、集団自殺か」
「カルトってあんな事するんだ」
「可能性は、まだあるよ」
「えーっ!」
・・・
『可能性』として論じるなら、それは確かにある。
「オウム真理教」は他者を死なせたが、「人民寺院」は自分たちが犠牲になった。
→ 「人民寺院」でウェブ検索
これは正に「鬼の仕業」。
鬼は常に「犠牲」を求めており、大勢の命を狙っているからだ。
他人事ではない。
日本も過去、こんなスローガンを掲げていた。
→ 一億総玉砕
◉本土決戦 1億総玉砕-国民を道連れに無理心中! http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/IchiokuSougyokusai.html
これは、「鬼の風」が吹き荒れた場合の特徴であり、規模が大きくても小さくても無駄な命が散らされる。
日本は国家全体が「カルト」と化していたのだ。
ところが現在のカルト宗教も、無事に終わるかどうかは不明である。
これだけは覚えておこう。
→ 鬼は犠牲を求める
理由付けは何とでも出来るだろうが、始まってからでは遅いのだ。
それで、心当たりがある人々は、出来るだけ早い時期に「山に逃げる」必要がある。
その「山」の正体は?
例えば、「世俗の騒ぎ」を高みから見物出来る余裕の立場を得る事。
大組織がドミノ倒しに巻き込まれてしまっても、自分の心は平静を保たねばならない。
要するに、視野を広く保つ事。
裏情報からの希望も手にしておこう。
この余裕が得られる。
「た、大変な事態だ!」
「大丈夫だよ」
◉ネサラ・ゲサラの見通し
https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/d5769af8703f7eeee1b29f831fa91162
要するに気分の問題であり、数字が正確である必要はない。
もう少しすれば、「イハウヘ」の「イハトーブ」が実現する…
そんな確信を手にしているだけで、見る目が違ってくるはずだから。
そして今は「イハウヘ」に願っても即応を感じ取れないが、「それは必ず実現する」
はずなのだ。
つまり、「時期」の問題・・・
『命の予防線』は、これらの知識から構築できるはずである。
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