第904話 一灯主義で行くべきか

「崇拝は寂しいもの?」

  「どんな意味で?」

「仲間が多ければ楽しいでしょ?」

  「そりゃそうだ」

「けど、ポツンとした環境だと」

  「寂しい」

「選ぶとしたら?」


・・・

つまり、クリスマスのイルミネーションを捨てて、灯籠が一つだけになる。

そんな環境なら・・・


「やだね、賑やかな方が好きだ」


この意見は多いと思う。


しかし世の中、間違った多数派がどんちゃん騒ぎをする中で、孤独の灯火を保っている人もいるわけだ。


「多数派なら楽しいのに」

「人気の出ない事やってるね」


そう言われたとしても、


  「これでいいよ」


そう言える人は確かに変人だろう。


彼は何を拠り所としてそんな人生を辿るのだろうか?


「鬼の本質」を知っているからだ。




 ■イルミより地蔵盆


イエスの誕生を思い起こそう。


ひっそりとした馬小屋である。

その雰囲気は「地蔵盆」に似ている。


他方、クリスマスの盛大な雰囲気を人々は喜んで受け入れる。


「楽しいからおいでよ」


これが人間の特質だ。


→ 群れる習性


世の神はそれを知り尽くしており、大規模な集まりを通して人を巻き込んでいる。


「これだけ多くが信じるなら」

「安心だ」


ところがイエスはこう告げていた。


「あなた方は、風にそよぐ葦を見たいのか?」


この言葉の真意を見分ける人でなければ、「一灯」を保てない。


イエスは「ブームの背後の風」を見抜いている個人を求めており、


行列の出来る店にも並ぼうとしない『変人』を相手としている。



「人気」と「神」との関係を知る人には、友人が殆ど出来ないかも知れない。


選びは重要。



地蔵盆は確かに寂しい。


『一灯主義で行くべきか』


それは人生に、大きな問い掛けとなるだろう。


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