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第900話 残すは証明のみ」への応援コメント


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    ヒロソ様。

    私が神使えのせいなのでしょうか?ヒロソ様の発言に違和感を感じます。以下、キツイ言い方で恐縮です。

    『しかし私の目的は、ただ「正しい神を崇拝したい」・・・とそれだけなのである。』

    というヒロソ様の目的はヒロソ様の願いなのでしょう。しかし、この願いは「ただそれだけ」などとい小さい願いには聞こえません。神に対して神の「証明」を求める畏れることを知らない途方もない不遜な願いに聞こえます。

    また、ただの「崇拝」など鬼の欲するることで、鬼でも自分を崇拝させる事は出来ました。神は「崇拝」など望んでいないので「鬼」が崇拝されていても放置されているのではないでしょうか?

    神は崇拝を望んではいませんので、崇拝の対象として姿を現す事はないように感じます。つまり、「崇拝したい」と願う限り、現れるのは鬼であると言うことです。「崇拝」は鬼の好物のようです。

    そもそも、どのようにしたら正しい神であると「証明」出来るのでしょうか?正しい神かどうかは自分で確信するしかないと思います。

    神への「崇拝」は神と私を隔てる心根のように感じます。幼子が父母を「崇拝」するでしょうか?尊敬こそすれ「崇拝」は無いと思います。

    ここまで「崇拝」を望む裏側には何があるのでしょう?心の「痛み」でしょうか?「惨めさ」でしょうか?「崇拝」は鎮静剤でしょうか?思うに「崇拝」は麻薬のようです。

    「宗教は阿片である」という鬼の時代は過ぎ去ろうとしています。神は恐らく「阿片」では無いと思います。