第894話 御子が戻って「岩戸開き」

「御子が戻ってるの?」

  「そうみたい」

「我々阻害状態?」

  「最初が最後とあるし」

「日本の岩戸開きはいつだろう?」

  「夏かな?」


・・・

ヒントはアメリカから出ている。


◉彼は戻っている

https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/5d8adc2f55dbc9387dee99824ade38e7



一世紀当時には、鬼が屯(たむろ)する中に御子が来た。


今回、太陽が西から出たような雰囲気だ。



マタイ20章(ぶどう園で)

1 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。



ここに、「賃金」の記述がある。


「最初」が「最後」になる。

すると最初の者が不服を言う。



 (労働対価が同じとは)

12 言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。

13 そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。

14 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。

15 自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。

16 このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。



この聖句での『一日』は、実際の一日じゃない。


『始まり』は「一世紀当時」であり、『終わり』は「現在」を指している。



先にアメリカで岩戸が開き、報酬が支払われている。


同じ「ぶどう園」での労働者とされているが、これは隠喩なのだ。


日本は、イエスの弟子が構築した国家であり、ぶどう園の中で長期間を過ごした。


アメリカは、『日の終り』に参加したばかり。


しかし最初に「岩戸開き」を経験し、主人は「報酬」を支払っている。


日本の働き人は『日の始め』に労働に入ったが、そのまま終わりの日まで来て他者への支払いを眺めている。


それが主人の腹積もりなので文句を言う筋合いなど無いのだ。


広大な世界のぶどう畑を相手に、どのような結末が来るかは読めなかったが、こんな形で御子が戻っていた。



日本でも「岩戸開き」があるだろう。


それを楽しみに待とう。


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