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2023年4月9日 14:05 編集済
ヒロソ様。私はヒロソ様のお話で目が開かれる事がありました。神という大きな存在は一人では太刀打ち出来ないと思います。鬼に絡まれていてはなおさらです。また、自分では分からなくとも、傍目にはわかるという事もあると思います。特に、危険を察知した場合は知らせなくてはと考えています。以下の文章はそのように受け取っていただければ幸いです。神の「権威」を用いれば鬼は一瞬にして消え去ると思います。それでは私たちの知らないところで、何も理解せずに鬼が消え去る訳です。しかし、福音書にあるように、それでは、前よりも多くの鬼が舞い戻って来るのではないでしょうか?私たちは鬼を理解出来ていないのですから。神はそれを望んでいないのではないでしょう。私たちから鬼を完全に祓う為に鬼に懲りさせようとしているように感じます。御子を封じ込めているのは国家でも社会でもないと思います。我々の鬼に汚染された心であると感じます。御子は何処からか与えられるものでは無く、神と共に自分の中から産み出す存在です。一番初めの鬼の人間に対する打撃は、人の心を壊す事であったと思います。人の心が壊れ欲望という奇妙な願いを持ち「私の願いを叶えないのは神では無い」という傲慢さ故に神から離れたのだと思います。カルトが「願いの成就」つまり「欲望」にフォーカスするのは人の心を壊し、神から離れさせる目的があるのでしょう。それに対し、人の心を癒そうとした釈尊は「欲望」を否定しました。しかし、鬼に洗脳された人間は「欲望を捨てた自分」になるという「欲望」を持つという、どこまで行っても「願いという名の欲望」を持つようです。問題は「欲望」という心の働きにあります。良いと思われる「願い」であっても「欲望」という心の働きに汚染されていないか、虚栄心に動かされていないか精査する必要があると思います。そして、花嫁としてキリストを受け入れ、我が内に御子をはらむ必要があります。その為には、潜在意識である「子」を育てる必要があります。SITH ホ・オポノ・ポノで高次の自我「父」と自分「母」と潜在意識「子」を三位一体としたのは慧眼であると思います。潜在意識「子」が育つとキリストを受け入れる雌しべになるからです。
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ヒロソ様。
私はヒロソ様のお話で目が開かれる事がありました。神という大きな存在は一人では太刀打ち出来ないと思います。鬼に絡まれていてはなおさらです。また、自分では分からなくとも、傍目にはわかるという事もあると思います。特に、危険を察知した場合は知らせなくてはと考えています。以下の文章はそのように受け取っていただければ幸いです。
神の「権威」を用いれば鬼は一瞬にして消え去ると思います。それでは私たちの知らないところで、何も理解せずに鬼が消え去る訳です。しかし、福音書にあるように、それでは、前よりも多くの鬼が舞い戻って来るのではないでしょうか?私たちは鬼を理解出来ていないのですから。
神はそれを望んでいないのではないでしょう。私たちから鬼を完全に祓う為に鬼に懲りさせようとしているように感じます。御子を封じ込めているのは国家でも社会でもないと思います。我々の鬼に汚染された心であると感じます。御子は何処からか与えられるものでは無く、神と共に自分の中から産み出す存在です。
一番初めの鬼の人間に対する打撃は、人の心を壊す事であったと思います。人の心が壊れ欲望という奇妙な願いを持ち「私の願いを叶えないのは神では無い」という傲慢さ故に神から離れたのだと思います。
カルトが「願いの成就」つまり「欲望」にフォーカスするのは人の心を壊し、神から離れさせる目的があるのでしょう。それに対し、人の心を癒そうとした釈尊は「欲望」を否定しました。しかし、鬼に洗脳された人間は「欲望を捨てた自分」になるという「欲望」を持つという、どこまで行っても「願いという名の欲望」を持つようです。
問題は「欲望」という心の働きにあります。良いと思われる「願い」であっても「欲望」という心の働きに汚染されていないか、虚栄心に動かされていないか精査する必要があると思います。
そして、花嫁としてキリストを受け入れ、我が内に御子をはらむ必要があります。その為には、潜在意識である「子」を育てる必要があります。SITH ホ・オポノ・ポノで高次の自我「父」と自分「母」と潜在意識「子」を三位一体としたのは慧眼であると思います。潜在意識「子」が育つとキリストを受け入れる雌しべになるからです。