第889話 「前(まえ)より後(あと)」
「カルトに居たら損するね」
「例えば?」
「ビジネスも失敗する」
「それ、多いみたいだ」
「なぜ駄目なの?」
「繋ぎ止めるため」
「へー」
・・・
何をやっても自立できず、成功の一歩手前で挫折する。
これが「カルトの神」だ。
首輪と鎖で人が「犬」になる。
■自立させないぞ
その神は、人を自分に頼らせるため、成功を奪う・・・
立場を変えた今なら思う道を行けるだろうが、再び起業など考える気にもならない。
「イハウヘ」の力は、その方面にも凄いはずだが。
カルトに所属している間は、外見ばかり気にしながら暮らしていた。
暖かさの雰囲気作りはされていたが、現実は冷たい。
他方、「イハウヘ」に立場を変えた今、何が変化したかといえば、願いが一つ聞かれた事くらいだ。
今のところ、それ以上の経験はしていない。
■不可能に思えた金庫が開く
金庫と言っても、小さく古い手提げ金庫で、大したものは入れてなかった。
ところが、自分で施錠したのに番号を忘れてしまったのだ。
何度もトライするが、開かなかった。
そこで「イハウヘ」に祈ることにした。
「時間が必要だろうな」
そう考えつつ、くるりとダイヤルを回すと、
「ガチャ!」
・・・
「あっ!開いた〜」
まあ、この程度の経験しかない。
金庫の中からは、古い懐かしい写真などが見つかった。
■世界に発信(?)
今の願いは、「YHWH」の実体である「イハウヘ」が世界に広まる事だ。
しかしそれは未分不相応な挑戦かなと思ったりする。
まず、「世の神」がそれを許さないだろう。
最大限の邪魔を入れて来るはずだ。
しかし名が広まれば、弱者の悩みの多くが解決するはずである。
カルト内の羊たちも、正気に戻って野の開放感を味わえる。
私が過ごしたカルト人生は、本当に「御カルト」と呼ぶに相応しい不気味なものだった。
(振り返っての感想)
自分を作って演技を続けながら、「救われた気分」になっていた過去が記憶に蘇る。
早い時期に「イハウヘ」を知っていたら、まるで違っていただろう。
それでも、「気付いただけマシ」かも知れない。
あのソロモンでさえ、晩年は「凛々しさ」を忘れ「バール」を崇拝してしまった。
「前が良い」より「後が良い」方が上だ。
今は最大の宝「神の名」を手にしたのだから喜ぶべきなのだ。
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