第887話 イエスの理想はカバン一つ
「カバン一つの人生ってあるね」
「シンプルライフ?」
「そう、福音書にある」
「むしろ『財産持ちの無念』に同感だ」
「普通、みんなそうだからね」
「子供が羨ましいなー」
・・・
生きていく不安があるから、必要なものを溜め込んでしまう。
これが身に付いてしまうのは、世の神が原因だと考える。
つまり「親神」がいない。
もしイエスの弟子なら、あらゆる不足は即座に充当される。
だから、不安を必要としないのだ。
この境遇を、世の神が決して与えない理由は「支配」のため。
人は不安で苛まれると、財産を溜め込んだり、いざという時に助けてもらえる神を求めて落ち着かない。
世の神が、人類支配のために広げてしまった環境は、「夜の不安」であり「冷酷の社会」だった。
法制度による救いは「振り」に必要だから存在させている。
実際、「日本国憲法」が機能していれば、どんな貧者も安心して暮らせる環境があるはずなのだ。
しかし彼らが役場に行って相談しようとしても「門前払いだった」という経験談を見聞きする。
もし「精神的クラッシュ」を覚悟した暮らしで構わないなら、「振りの制度」に組み込んでもらえば生活は可能だろう。
しかし、「人並みに頭を上げて生きる」という願望は捨てなければならない。
「生活保護」は「人並み」ではない。
「車を持つのが贅沢?」
僻地に暮らす人は、どうするのだろう?
「荷物を自分の車で運ぶ」という当たり前の要望は「贅沢」なのだろうか?
臨時収入があったら、「困った」と顔をしかめるのが人並みの生活だろうか?
全てに「世の神」の冷たい気性が見て取れる。
「イエスの理想はカバン一つ」なのは確かだが、それは「次の世」で実現するしかない…と思えるのだ。
間違っているだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます