第840話 鬼に勝てる子供にしよう

「男鹿半島に鬼がいるね」

  「あー、『なまはげ』」

「大抵の子は泣いてるでしょ」

  「んー、あれはまずい」

「『まずい』の意味は?」

  「石がスポンジになる」

「えっ?」


・・・

あの行事は、節分と逆。


節分には、鬼をやっつける勢いが養える。


しかし、「鬼を恐れる心」を持ってしまうと、投げる石(意思)がスポンジのようにスカスカになってしまうのだ。


だから「なまはげ」の場合は工夫して、子供にこう言わせよう。


「おにはあっちいけ!」


そして、鬼の役者が逃げる演技をする。



もともとあの行事は、子供を誘拐していた悪い大人から、子供が逃げるための反射行動を植え付けようと始めたのではないだろうか。


(私見)


例えば、サンタクロースなどは、子供を油断させて誘拐するための姿だったと聞いている。


ディズニーランドで子供が行方不明になる事件も多い。


こうした油断ならない社会において、子供を守ろうとする『なまはげ』の精神は確かに理解出来る。


しかし、「恐怖心」はまずい。


人間の意志は、固く強化すれば鬼を倒す事が出来るが、恐怖を抱いた瞬間、「イシがスポンジに」変化してしまうのだ。


それを知る鬼は、狙う相手にコッソリと不安や恐怖心(鬼怖い)を流し込もうとする。


普段でも、それを感じたら、間髪を入れず、怒りを込めた意思を鬼にぶつけるべきである。


「この鬼めが!」

「イの神を恐れよ」

「底知れぬ所へ行け!」




 ■ 正しい鬼解釈


鬼の優位性は「操縦する」立場。

これに尽きる。


例えば、巨大なマンモスタンカーの操舵室には、豆粒ほどの船長がいて舵取りしている。


この構図と同じように、人間を家のようにみなす鬼は、「豆粒」ほどしかない。


それを聖句が教えている。



ルカ8章 (墓場の男)

26 それから、彼らはガリラヤの対岸、ゲラサ人の地に渡った。

27 陸にあがられると、その町の人で、悪霊につかれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた人に、出会われた。

28 この人がイエスを見て叫び出し、みまえにひれ伏して大声で言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。お願いです、わたしを苦しめないでください」。

29 それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足かせとでつながれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。

30 イエスは彼に「なんという名前か」とお尋ねになると、「レギオンと言います」と答えた。彼の中にたくさんの悪霊がはいり込んでいたからである。

31 悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。

32 ところが、そこの山ベにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。

33 そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。

34 飼う者たちは、この出来事を見て逃げ出して、町や村里にふれまわった。

35 人々はこの出来事を見に出てきた。そして、イエスのところにきて、悪霊を追い出してもらった人が着物を着て、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、恐れた。

36 それを見た人たちは、この悪霊につかれていた者が救われた次第を、彼らに語り聞かせた。

37 それから、ゲラサの地方の民衆はこぞって、自分たちの所から立ち去ってくださるようにとイエスに頼んだ。彼らが非常な恐怖に襲われていたからである。そこで、イエスは舟に乗って帰りかけられた。

38 悪霊を追い出してもらった人は、お供をしたいと、しきりに願ったが、イエスはこう言って彼をお帰しになった。

39 「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた。



この聖句では30節に書いてあるが、他の福音書も「鬼はレギオン」(軍団)であったと教えている。


つまり、おびただしい数の豚を暴走させるほど、多数の鬼が一人の男を住まいとしていたのだ。


鬼の強みは、大きさではなく「操舵室に座れる」という船長のような特権を持つ所にある。


そこで人は「敏感」(bean・感→ 豆のような感覚)を持って「船長室に入ろう」とする鬼を蹴り出さなければならない。


それを教えるヒントが、「節分に撒く豆」だと気付くだろう。


大きく凶暴な大男を操縦する鬼だが、その背後にいる本体は、豆粒・・・


しかし我々は、「その豆粒」を標的にしなければならない。


傀儡である人間の大男を恐れる必要はない。



こうして正しい知識を与え、

『鬼に勝てる子供』に育てよう。


それは親の態度一つに掛かっている。


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