第838話 「ヤイヤイ」談義

「イハ」の名を知っている。

その優位性とは何だろう?


「井の中」に囲われていれば安全…これに尽きる。


しかし、「矢の神」も巧妙だから割り込むチャンスを常に狙っている。


これを知らなければ、

名を知っていても危ない。




 ■鬼からの祝福もある


世を牛耳る「ヤハ」神は、

配下の者を祝福する。

金持ちや子沢山になる。


但し、生贄を要求するだろう。



モーセが「イハ」の名を教わり、それ以降の王たちは創造主の名を知っていた。


ダビデ王は、「イハ」の名をもって相手のゴリアテを倒した。


しかし後に、「ヤハ」の神に囁かれ、「人口調査の罪」に落とされてしまう。


この時「天罰」が下されて民衆が多く死んだが、「『私の神』(イハ)に罰を下して欲しい」と告げたのに、それは来なかった。


人口調査の天罰を下したのは「イハ」でなかったからだ。


このあたり、二つの神(「ヤの神」と「イの神」)がダブっている。



ソロモンのように王位にある者であれば、数千頭の牛を犠牲にできるだろう。


それを、どちらの神に捧げたのか文面から意思は読み取れない。


ただ、犠牲を好むのは「イハ」じゃなく「ヤハ」であるため、夢に現れたのも「ヤハ」だろう。


「お前を祝福してやろう」



このように考えるなら、

日本の先人が「ヤイヤイどっちだ」と言うのも当然に思える。


彼らは御子から教えられ、こうした事情を知っていたはずなのだ。


実際、日本はイエスの弟子たちが流れ込んだ国なので、全ての説明を聞かされていたはずであり、当初は「ヤイヤイ」の考察が常にされていたようである。


もし上位の支配者が、「ヤイヤイ」のややこしい事情を忘れていなければ、鬼との対決姿勢を保っていたはずだ。




 ■ややこしい話の解明


こんな想定をした。


「ややこしい」は当初、

「『ヤイヤイ』こしい」

と使っていた…


つまり、

正しい神の名『イ』を知っていても、いつの間にか鬼が割り込んで来る。


その事情を、

「ヤイヤイ股しい」と想定して考えた。


神経を敏感にして、常に「鬼の割り込み」に注意していないと、(創造主の名を知っていても)ソロモンのようにやがて酷い状況にされてしまうのだ。


「神が入れ替わっている」

「いつの間にか」


これが鬼の攻撃である。


それで、

「ヤイヤイどっちだ」という詰問の意味は深い。


先人はおそらく、

「それは『イハ』じゃないぞ」

という意味を込めて『ヤイヤイ談義』を行っていたはずだ。


我々も、それに見習おう。


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