第820話 何のために考察?

「鬼は人の目を晦ますね」

  「うん」

「その方法は?」

  「百科事典!」

「えっ?」

  「全部覚えろって言う」

「うわー!」


・・・

聖書のレビ記には資料の山。

細かな規則が満載だ。


それは、「百科事典を全部覚えろ」と告げるのに似ている。


そうした大量の仕事を机の上にドサリと積み上げ、彼の人生を使い果たすべく仕向ける。


それが鬼の手法。


「サバン症候群」でもない限り、何月何日に何が起きたか…といった暦や辞書に満載の記録は全て頭に入らない。


天の神は人類を子供として扱ってくれるから、辞書的な照合という手段ではなく、心の中に「良心」を与えてくれた。


それはまるで「量子コンピュータ」のように、人が辞書を引くよりも桁違いに素早い答えを与えてくれる。


1.辞書的な頭

2.良心的な頭


上記のどちらが「鬼」で、どちらが「創造主」かは歴然だろう。


人の良心は「良心コンピュータ」と呼ぶに相応しい素晴らしいものである。


ところが、法規に頼る頭だと最初に検索が必要になる。


「ここで、どう行動する?」

「どう書いてあったか探せ」


「スーパーコンピュータ」がその模索を4万年続けている間に、「良心コンピュータ」は、4秒で答えを弾き出す。


あの事件を思い出そう。




民数記32章(安息日を破った人)

32 イスラエルの人々が荒野におるとき、安息日にひとりの人が、たきぎを集めるのを見た。

33 そのたきぎを集めるのを見た人々は、その人をモーセとアロン、および全会衆のもとに連れてきたが、

34 どう取り扱うべきか、まだ示しを受けていなかったので、彼を閉じ込めておいた。

35 そのとき、主はモーセに言われた、「その人は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で撃ち殺さなければならない」。

36 そこで、全会衆は彼を宿営の外に連れ出し、彼を石で撃ち殺し、主がモーセに命じられたようにした。




ここに登場した『神』は、勿論「鬼」である。


選民の法は、「善悪の知識の木」が選民に与えた。


そこには、「安息日を守れ」と書いてあり、当てはめれば「死刑」となる。


しかし人に与えられた良心は、違った答えを導き出す。


「この場合は特例だ」

「人を困らせる悪意は無い」




 ■鬼のロジックでの考察は?


鬼が与えた「法」には、限界があり、あらゆる事象に当て嵌るものではない。


それを目指せば、図書館があっても足りないだろう。


しかし、四角四面の鬼は、そのロジックを強要する。


「例外も認めない」


こうして法が、人の不幸を大量生産して来たのだ。


我々は、『何のために考察』しているのだろう。


それは「人の幸福」(笑顔)のためではないか。


井ノ神の心を理解し、御子に従う思いで過ごしたい。


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