応援コメント

第814話 いきなり「御子」が来た!」への応援コメント


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    ヒロソ様。

    「神輿」については実際のところは良く解らないにも関わらず反論してしまいがちですが、キリスト教徒特有の「待ち望む」という心情に危険性を感じてしまうからです。強く「待ち望む」ほど、当のその物を遠く追いやってしまうように思えます。

    強く救世主を「待ち望んだ」ユダヤ人はキリストに気づきませんでした。思っていた救いと違っていたからです。その時、ユダヤ人は救世主を「ユダヤの王」と思っていました。今のキリスト教徒も救世主を自分の状況を救ってくれる「王」や「大統領」などの権力者と思っているのではないでしょうか?「王」や「大統領」などの権力者は「シーザー」ではないでしょうか?

    精神のバランスの為にも「心の天秤」のもう一方に「内観」などをおかれると良いかと思います。自分の人生そのものが高次の自我です。心の安寧には高次の自我が自分に指し示すことを理解する必要がるかと思います。

    究極、どんな状況であれ自分が納得出来れば不幸ではありません。救いは自分の人生と天との結び付きを理解することからやって来ると思います。キリストの救いはそこにあると思います。