第803話 イエスは傀儡人間を教えた
「鬼はメンタルを攻撃するね」
「そう陰湿に」
「ヨブがやられたね」
「あれは卑怯な攻撃だ」
・・・
ヨブだけでなく、
アブラハムも、メンタルを攻撃された。
「イサクを捧げよ」
鬼はこのように、義人の芯をへし折ろうとする。
バプテストのヨハネが牢獄で弱気になり、まるで「消えそうな灯心」になっていた。
イエスの所に使いを送り、「弱音」を伝えて来た。
「あなたは本当のメシアですか?」
彼は、イザヤの聖句を知っていたからだろう。
(7節に注目)
イザヤ42章(『彼』が示す業績)
1 わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。
2 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、
3 また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
4 彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教えを待ち望む。
5 天を創造してこれをのべ、地とそれに生ずるものをひらき、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を与えられる主なる神はこう言われる、
6 「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、
7 盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる。
8 わたしは主である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかの者に与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない。
9 見よ、さきに預言した事は起った。わたしは新しい事を告げよう。その事がまだ起らない前に、わたしはまず、あなたがたに知らせよう」。
この聖句によれば、ヨハネは「イエスによって獄屋から出される」と思って当然かも知れない。
しかし、ヨハネは最後に首をはねられた。
イエスはヨハネの名誉を重んじ、民衆の前で「彼が弱音を吐いた」とは言わなかった。
イザヤの聖句にある「仄暗い灯心(くすぶる灯心)を消さず」という聖句は成就したのだ。
そして民衆に対し、ヨハネを最高度に褒めている。
ではなぜ、ヨハネは救われなかったのだろう?
→ 鬼の動きになびいた
鬼は、その人が弱音を心に持った瞬間から付け込んで道を曲げる。(風のように)
ヨハネがもし、獄中にあっても「これは鬼の仕業」と認識し、「鬼め私を出せ!」と頑張っていたら、結果は違ったものになったかも知れない。
王や、王の娘は傀儡であり、その周囲には鬼が充満している。
その状態なら、当人の弱音はすぐに口実にされてしまう。
「私はもう駄目だ」と、
『心の中で認めたぞ』
■イザヤの成就は?
すると、「獄屋から出し」という記述は空文なのだろうか?
4節に、「海沿いの国々」という記述がある。
つまりこれは、「イエスの教えが世界に広まった現代」の状況に合致するのだ。
そして8節に、こう書かれていた。
8 わたしは主である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかの者に与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない。
この聖句が「主」のままだと鬼が喜ぶ記述となる。
つまり、
→ その地位は「空席」
それでここに、創造主の名である「イ」(イハ)が嵌ってこそ、栄光が井ノ神に向けられる事になる。
(正しい記述)
8 わたしは『イ』である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかの者に与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない。
ヨハネがもし、「イハ」を信じて祈り、「鬼め私を出せ」と頑張っていれば、「自力で脱する道」が開いたはずだ。
鬼は「井ノ神の光」(威光)を恐れ、ヨハネの未来はヨハネ自身が決める権利を持っていたのだから。
イエスは弟子に、そのように教えていた。
どんな場合も、人間は傀儡であり、敵は見えない姿の鬼。
十字架にかけられている時、イエスが教えていた。
「神よ彼らをお許しください。 彼らは何をしているのか分からずにいるのです。」
後世の我々も、この言葉の真意を汲み取らねばならない。
イエスがせっかく、
『傀儡人間を教えてくれた』のだから。
我々は、その背後の鬼に「井ノ神の名」を込めた「硬い石(意思)」を投げ付け、
自力での開放を目指そう。
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