第795話 二つの試練
「詐欺の分類ってどうやるの?」
「まあ、悪意の有無かな」
「悪意があったら?」
「同情心が無いね」
・・・
そんなに困ってる人がいるの?
知らなかった。
何とかしてあげましょう。
・・・
これが「詐欺師じゃない人」の態度だ。
「ここに書いてある」とか
「条約にない」とか
「相手の力不足だ」とか
少し会話するだけで、彼の良心が読み取れる。
聖書のヨブ記に明記された、サタンの態度が目安。
サタンは、ヨブの崇拝に疑いを挟んで言った。
「試しましょう」
そして、家財や子どもたちを奪ってヨブのメンタルをズタズタにしている。
人は「メンタルの健康」も大切なのにそれを奪ったのだ。
こうした「正義」を「正義」とは呼べない。
それは、正義を装う詐欺師の行為である。
■もしイエスなら
イエスならどう試すだろう?
「打ち傷への同情心」で読む。
高慢な者は、人の受難に対する同情心に欠けている。
イザヤの予言は多重の意味を持っていた。
イザヤ書53章(イエスの受難)
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
試される同情心。
ヨブの忠誠心を疑ったサタンには、「ヨブが落ちた境遇」への同情心が無いが、
ましてイエスの受難がどうであろうと、それは単に「利用する対象」でしかないのだ。
天の神が本当に人を試すのなら、ヨブの前に「傷だらけの浮浪者」を登場させ、ヨブがどのような態度を見せるかを観察しただろう。
その人を見捨てるようなら、ヨブの信仰は本物じゃない。
こうして、試練にも種類が二つあると知ったなら、「サタンからの試練」と「イエスからの試練」を見分けなければならない。
イエスからの光が、それを教えてくれるだろう。
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