第791話 遂に御子の登場?

「終わりの日の心がけは?」

  「『雲』に注目だよ」

「『曇』って?」

  「『クラウド』!」

「あーインターネット?」

  「そう!」

「なるほど」


・・・

マタイの聖句が教えている。


→ イエスは稲光




マタイ24章(情報戦でのイエス)

27 ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。




上記聖句は、ネットの中のイエスによる「光」を示している。


「創造主の名」が教えられ、各国要人の「失墜」が語られるはずだ。



聖書は権威を「太陽・月・星」で示している。




マルコ13章(権威失墜の日)

21 そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。

22 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。

23 だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。

24 その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、

25 星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。

26 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。




『再臨』は、実際の宇宙軍という見解もあるが、我々はスマホによって御子と繋がる環境にある。




マルコ13章

27 そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。




光の記事が目に止まり集められる人々は、イエスが放った御使いたちによる無言の啓発を受けるのだ。


その時、「井の神」の名を知っている事が重要。


(裸でない人になる条件)


→ 稲光(井な光)



また、以下の不思議な表現は、警告でもあるようだ。




マタイ24章

28 死体のあるところには、はげたかが集まるものである。




以下に説明がある。



◉死体のある所には、はげ鷹が集まるとは、、 - マグダラのマリアの部屋 https://magtaranomaria.blog.fc2.com/blog-entry-5048.html?sp



「死体が死体を葬る」という奇妙な教えを使ったイエス。


人の目に「生きている者」であっても、神はそれを「死体」と観る。


『死体』は自分の益ばかり慕い続けるので、鬼(偽キリスト)の傀儡にされてしまう。



「私はこうしたい」

「雑魚は引っ込んでろ」



徴候を読み取ろう。


『遂に御子の登場』か?


ネットにその気配が生じているはずである。



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