第781話 憲法「生きる権利」とは?
「自殺が増えてるね」
「社会が冷酷だからね」
・・・
「自殺者の増加」と検索すると、多くの記事が出る。
彼ら自殺者も「生きよう」と努力した末の結論だったのだろう。
心理学でなくても、人は「冷酷」を感じたら世から去って行く。
それを救うはずの憲法は機能していない。
■基本的人権を子供に教える
「じんけんってなにー」
「それはね…」
戦後、冷酷の反省を経て設立された日本国憲法には、「最低限の生活を営む人権」が保証されている。
ここに、「メンタルの問題」も含まれる。
巨大な国家が、その実現も出来ないとは…
私の観察はこう。
→ 「鬼に負けた姿だ」
「冷酷」に対処する暖かさがない家(国家)は、家族(民)を次々死なせてしまう。
私も、偉そうな事は言えない。
過去の自分を振り返って、後悔する事がある。
カルトに所属していた当時、熱心に学んでいたはずなのに、(今から思えば)暖かさに欠けていた。
→ 寒いぞ「カルト教育」
外見は優しそうに繕い、整えて活動するのだが、
成員への扱いが冷ややか。
ここは表現が難しいが、
「温かさ」とは?
言葉の使い方じゃない。
→ 「羽毛の保温」だ
例えば、
「一日も休まず集会に来てね」
言葉は丁寧。
しかし「温度」は、鉄板のような冷たさ。
国家なら?
「生活に困ったら助けます」
→ 「生活保護」や「自己破産」が出来ますから…
しかし、この扱いに「奈落の底」を感じるのは私だけだろうか?
そもそも「相談者」は、奈落に落ちたくないから足を運ぶのだろう。
しかし多くは、窓口さえ知らない。
落ちる前に救われるなら、基本的人権は守られていると評価出来る。
「思いやり」は、相手の心を先読みする「先見の明」である。
この人は今、どんな気分だろう・・・と。
寒い思いをさせない(服を着せる)のが思いやり。
この感覚が、カルト宗教やカルト国家の中では麻痺してしまうのだ。
イエスが着せてくれる羽衣はソフトで、心の冷えを守ってもらえるが、カルトの中にそれは無かった。
言葉はソフトなのに、何故か冷える。
「着飾り」で、羽衣の暖かさは実現できないという話だ。
鬼と戦うようになってから、羽衣が欲しい人の気持ちが解って来た。
そして、憲法が語る「生きる権利」もそうしたものだと思うのだ。
今は、願うしかない。
日本に憲法を与えてくれた御子が、一日も早く到来してくれるように…と。
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