第780話 光に出すのが罪なのか?
「光を考えてみたよ」
「結論は?」
「逃げるなら罪だ」
「解りやすい」
「後ろめたいと隠すよね」
「犯罪心理かな」
・・・
隠すこと自体が罪なのか?
(掘り下げた)
「光」が差して恐れない人なら、こう言う。
「隠すような事はしていない」
「光を当ててみろ」
光を恐れる者が「隠そう」とするのだ。
しかし、こんな決まりがある。
「隠さないと罪である」
→ 公序良俗
【公序良俗】コウジョリヤウゾク
公の秩序と善良の風俗。
国家・社会の公共の秩序と普遍的道徳を意味し、公序良俗に反する内容の法律行為は無効とされ、犯罪の違法性は実質的には公序良俗に反することによる。
かなり難解である。
光を避けるのは「闇の勢力」ではないのか?
■天は、「光」を罪としない
太陽の御子が放つ強烈な光は、あらゆる罪を暴く。
これを恐れる者だけが、光から逃げるのだ。
楽園で、アダムとイブが光を恐れるようになったのはなぜか?
それは「隠さねば恥ずかしい」という心理が働き始めたからである。
罪は→ 隠す行為と同列
根本原因は、彼らが善悪の知識の木を選んだからだ。
ならば、その後押しをした「蛇」は、イブを隠さねばならない「恥ずかしい選択」へと導いた主犯である。
「鬼が光を恐れる」理由は、『隠さねばならない事柄』を行い続けて来たからであり、
アダムとイブを、その道に引き込んだ確信犯であるからだ。
→ 隠さねば罪である
この奇妙な法律は、鬼の心理に沿っている。
※ イエスが告げた「子供の心」でないと理解は難しい。
人類は、鬼の都合で正義感まで捻じ曲げられ「隠し事」をしなければならない道に引き込まれた。
→ 腰から下は恥である
→ 隠すべし
それは、「善悪の知識の木」(組織)が主張する「独自の法」であり、創造主と御子の与える「光の法」ではない。
※ これは鬼への理論武装としての考察であり「出すべき」という主張じゃない。常識と良心の判断に沿って動くべき。
鬼よ、なぜ創造主が備えた光の法に違反するのか?
なぜ人間を、闇の路線に引き入れたのか?
小さな子供に聞こう。
「真っ暗で生きたい?」
「やだ」
そして、正義の大人に訊くといい。
『光に出すのが罪なのか?』
幼児の心に答えがある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます