第782話 石に躓いた人々
「石油は何で『石の油』と書くの?」
「考えた事ない」
「意味がありそうだよ」
「調べよう」
・・・
最初に浮かぶのは、イエスの仇名だ。
→ 石
そして、この聖句。
マタイ26章(石に躓く)
31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。
32 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
33 するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。
34 イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」。
35 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。
聖句には多重の意味がある。
「現代の躓き」を考えよう。
→ 石油
イエスの油として、一番ピタリと来るのは石油じゃなく「珪素のエキス」だ。
「777話」でそれを紹介している。
しかし、現代は「石油」産業が全盛で、キリスト教世界もそれを黙認している。
これは、発癌性を危惧され、生命に危険な油である。
※ コールタールで皮膚癌が発生する。
創造主が、これを人々に与えたのでない事は、明らか。
すると→ 世の神が?
人類はこの油を日常に使いまわし、多くの害を受けたがそれを無視。
「石油」という表現が日本で使われるが、これは決して「イエスの油」じゃない。
つまり、石油の普及を黙認して来たキリストの弟子たちは、イエスへの忠誠を三度否認したペテロのようなものである。
石油は英語で
「ペテロの油」。
【petroleum】ペトロリアム
石油
つまり、「petros」の「oil」。
なので、創造主を信じる人々が、石油を容認して来た歴史こそ、「創造主の否定」であり、その子である「イエスの否定」に相当する。
歴史の夜明けで鶏が鳴く頃、「イエスの弟子」を自認してきた人々が、それに気付いて泣くのかも知れない。
彼らが、『石に躓いた人々』と
呼ばれるかどうかは、定かでないのだが。
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