第769話 夜に歩いた人々
「聖書は『昼に歩け』と言うね」
「うん」
「どんな意味だろ?」
「深いぞ」
・・・
ヨハネ12章(イエスの光とは)
34 すると群衆はイエスにむかって言った、「わたしたちは律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、と聞いていました。それだのに、どうして人の子は上げられねばならないと、言われるのですか。その人の子とは、だれのことですか」。
35 そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
36 光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。
現代の人々は、イエスが「世の光」だと知っている。
また、「昼の子」の象徴は『太陽』である事も。
「太陽がない夜」とは、
イエスが処刑された直後から、次の夜明けまで…になる。
では、三日後に墓の前で夜明けが始まったのだろうか?
「墓の前の主」は、一つの保証を残している。
マタイ28章(二枚目の保証)
16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
17 そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。
18 イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
→ 世の終わりまで共にいる
この保証は現実だろうか?
こちらの主は「平和」を保証したわけじゃない。
こう告げただけである。
→ 「共にいる」
共に歩いた人々は、なぜ道を逸れ「戦争に明け暮れる日々」を過ごしたのだろう?
人々が『夜』歩き、「一枚目の道」を通っていない。
そう説明されたら、子供にも理解出来るだろう。
■昼間の十二時間
「昼間は12時間ある」とイエスが口に出した理由とは?
「十二使徒」の心には「一枚目』からの光が残っているため、「平和の君」の道を大きく逸れる事はないはずだ。
しかし「彼ら」が全て過ぎ去ってしまうと、助言を求めて聞く相手がいなくなる。
二枚目の主が「共にいる」という保証をしても、「夜」が『昼』に変化するわけじゃない。
こうして民衆は、夢を見ながら「夜の行進」を行った。
『夜に歩いた人々』の足跡が、いつでも参照出来るよう歴史に残されている。
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