第768話 石に躓くなかれ
「イエスはよく『躓き』とか言うね」
「うん『昼間歩け』とか」
「意味が知りたい」
「よし」
・・・
イエスの仇名が『石』である事は、みんな知っている。
ならば、「躓く」とは?
ルカ7章(牢にいるヨハネの弱気に対し)
22 答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。
23 わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
人が石に躓いて転ぶ状況を考えてみよう。
→ 認識出来ていない
地面から飛び出しているのに、
まるで気付かない時、
躓いてしまう。
これと同じで、「イエスへの認識」が出来ればこそ、その地点を無難に越える事が出来るのだ。
→ 天からの『意志』
→ 救いの『医師』
→ 正しい道標(みちしるべ)
「知るべし」イエスの立場。
イエスは単なる「ヒーラー」じゃない。
【healer】ヒーラー
1.治療する人、神霊治療家。
2.(悩みを)治す者・事。
※ 平山という名字は過去、この関係者であったかも知れない。
また、「平謝り」も、気分を壊した人への「癒やし」が含まれている気がする。
イエスは「昼間歩け」と教えた。
それは「目視」だけじゃなく、心の中に光がある人を指す。
「心の認識力」が大切だ。
それを持つ人は、イエスを誤解せず、言葉の深意を読み取れる。
例えば、
→ 「私の肉を食べよ」
→ 「私の血を飲め」
どうしてこんな表現を使ったのか?
それはイエスを取り巻く環境が特殊だから。
→ 「姿を消した鬼」が充満
鬼は、イエスが話す一言一句に注目していた。
それで、「謎に満ちた表現」を使わねば、後から来る「二枚目」などにより、簡単に道を曲げられてしまうだろう。
イエスは、終わりの日まで視野に入れており、現代の我々まで教えを届ける必要から、鬼の目をすり抜ける表現を使ったのだ。
普通に話して真意を保つのは難しい。
だからこそ我々は、心の中の光に照らし、躓かずに理解しなければならない。
『石に躓くなかれ』
それには、イエスと天の意志を汲み取る井戸端会議も必要になるだろう。
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