第761話 知恵の木の正体は?

「不思議な話だけどね」

  「うん、どんな?」

「楽園にあったりんごの木」

  「あれは『誤訳』だってさ」

「正しくは?」

  「ヘブライ語だといちじく」

「へー」

  「それで『不思議』とは?」

「巷では『樹木』を『組織』と読まないね」

  「それか」


・・・

聖書は「象徴表現」に満ちた書物。


理由は、

世の神が人類を支配しているから。


ズバリを書けば、たちまち削除されてしまうだろう。


そこで、

後の時代に残すため、

謎を含めた象徴が多用されている。



イエスの話にヒントがある。




■イエスはぶどうの木



ヨハネ(弟子は『枝』である)

15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

15:2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

15:3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

15:4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

15:6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。

15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

15:8 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。




日本語では、「実質」という表現を使う。



【実質】

物事の内容または本質。



「あの組織には実質が無い」

など。


また、「実を結ぶ」は

文字通りの意味だけじゃない。


→「努力の末、良い結果を得る」



イエスの弟子を「枝」と言うなら、「ぶどうの木」は「キリスト教組織」・・・


こうした判断を、「楽園の樹木」に当て嵌めて考えると、


「知恵の木」(善悪の知識の木)は、「何らかの組織だ」と理解出来るはずである。


「善悪の知識の木」というからには、「十戒を与えた組織」と重なって来る。


それはホレブの山で厳しい罰を与えた「前の神の組織」である。



しかし巷ではなぜか、そうした角度からの考察が少ない。


文字通り、「木の実を食べてしまった」(試されて失敗した)といった解釈が多いのだ。


「前の神の組織」は、創造主の名を隠蔽するくらいだから、当然、自分たちの実態も隠しているだろう。


もしその樹木が「ユダヤ教」の解釈通り「いちじく」であれば、それは福音書でイエスが呪った組織である。


→ 終わりの日に枯れる


ホレブで、「前の神」は十戒石をモーセに与え、選民との契を結ぼうとした。


しかしその意志は潰えた。


→ 石板が割られたため


つまり楽園からずっと、「前の神」は選民を通し、人類を自分たちの木の下に集める画策をして来た事になる。



聖書では、二つの樹木の綱引きが続いている。


→ 楽園からのいちじく

→ イエスのぶどう


人類は両者の狭間に位置し、奪い合いの当事者となっている。



『知恵の木の正体は?』と聞かれたら、子供のように「いちじく」と答えよう。


そして最後に我らが選ぶのは、

「救いの実」を着ける

「一枚目のぶどう」である。


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