第734話 「闇の法」と「光の法」
「『法に照らして』と言うでしょ?」
「言うね」
「法って『光』なの?」
「二種類あるよ」
「なら、見分けないと」
「ほとんどやってない」
「わーっ」
・・・
大人は子供に、「法が正義だ」と教える。
「法が罪を作る」とは教えない。
しかし、罪作りな法やその運営が人を不幸にしているのも事実。
「独裁者の法」などは、光から逃げる傾向がある。
※ 共産主義や独裁の法体制で、どれほど多くの民衆が処分されたかを思い出そう。
つまり、「法が光だ」と決め付けるのは間違いである。
■鬼が法を悪用する
人々は普段、「法」に光を当てる事はない。
しかし、聖書を学ぶほど、「神の二重性」や「法が放置されて不幸を生んだ例」を知るようなった。
原因は…
→ 法に光が当たっていない
「鬼が『神』に化ける」と知る人なら、法が鬼に悪用されている事を理解しているだろう。
キリストは、法に従って裁かれ処刑されたのに、肝心の追随者が法に盲従。
→ とにかく従え
そうすれば、処罰から保護されるが、イエスは「目をつぶれ」と教えたわけじゃない。
鬼が「法の権威」を利用してイエスを処刑したのに、追随者がそのような法に光を当てようとしないのは納得が行かない。
法が人々を苦しめているのなら、その背後に当然「鬼神」が貼り付いている。
民衆はもっと、法に光を当て、闇の中での悪用を暴かねばならない。
→ 法による善悪判断に光を
鬼と戦う人は、最終的にそう願うようになる。
カルトの多くは、「法に光を当てる仕事」から逃げてしまう。
しかしそれは、鬼の思うツボなのである。
「闇の法」とは、光の吟味を受けない法であり、鬼が悪用して民を不幸にする。
『光の法』とは、神の御子の光を浴びて温かい運営を続けている法であり、貧者を喜ばせてくれる。
光で、両者を見分けよう。
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