第704話 笛吹けど踊らぬ人

「マタイの聖句を教えて」

  「どこ?」

「『笛吹けど踊らず』…」

  「あれかー」


・・・

「お膳立てしたのに応じない」


…そんな意味で捉えられている。


それも一つの説明なのだが、もう少し掘ってみよう。




マタイ 11 章 (ヨハネの弱気)

2 さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、

3 イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。

4 イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。

5 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。

6 わたしにつまずかない者は、さいわいである」。




バプテストのヨハネは、

獄中で弱気になっていた。


それは、彼の檻を取り巻く空気の問題だった。


→ あんな奴が救世主だと?

→ そんなはずはない



この空気は、鬼が流している。

鬼は別名「風神」である。




 (空気に流されるなかれ)

7 彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。




『風に揺らぐ葦』


この言葉を、集団主義の選民は「国家集団への影響」と読む。


しかし、個人主義の欧米人は「個人の問題」と捉え、「考える葦」という言葉を放つ。



人間は考える葦(あし)である | 今週の朝礼 https://www.nohkai.ne.jp/tyorei/?p=2951



イエスが告げた話では、「一本の葦」より葦の集団が鬼の風から受ける影響に重点が置かれていた。


葦が揺らぐ→ 『足』が揺らぐ


この場面では、多くの聴衆が注目している。


ヨハネが折れそうな葦であるのは確かだが、その弱気はイエスの前の聴衆の心を揺らす。

「鬼の風」だと気付くべきである。


ヨハネもイエスも、温々とした環境にはない。


鬼の逆風と戦っている事情を、人々は配慮すべきなのだ。




8 では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。

9 では、なんのために出てきたのか。預言者を見るためか。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。

10 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。

11 あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

12 バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。



『天の国を激しく襲う』のは?

→ 鬼

(「耳」の無い者)




(ヨハネ以後の成就→イエス)

13 すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。

14 そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。

15 耳のある者は聞くがよい。



「空気を作る」


それが鬼の常套手段であり、

こっそり「雰囲気作り」をして、人々の心を「流す」。

(進路がぐらつく)




(隠喩→ 空気に流されるな)

16 今の時代を何に比べようか。それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、

17 『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』と言うのに似ている。

18 なぜなら、ヨハネがきて、食べることも、飲むこともしないと、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、

19 また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。




鬼からの「逆宣伝」は物凄く、バプテストのヨハネでさえ弱気に傾いていた。


神の民の心は従順だから、鬼にとって処理しやすい。



日本で『陰謀論』という言葉が喧伝されたのも、真実を無害化して流し去る鬼の画策であった。


逆に、「コロナショック」を使って人々を思い通りに動かそうとする風が吹いている。




 ■戦争前夜の風


日本では、政府の肝いりで「戦争への雰囲気作り」が実行された。


もし、民衆の大多数が、「笛吹けど踊らぬ」冷静さを備えていたら、「戦争回避」の道も見えていただろう。


「どうにもならぬ事態だ」

  「どうにかなりますよ」


実際、その頃はマスコミも総動員され、「危機的空気」が支配していた。


→ 鬼の風


もし民衆が、神の名を知って意識を向け、平安の道を求め、鬼への憎悪で一致していたなら、


『岩の民意』が形成され、国を挙げた動きは出来なかっただろう。



イエスの配下で『笛吹けど踊らぬ人』になるためには、


「神の名」(イ)を正しく知っておく必要がある。


それが、鬼の風を遮断する「岩の裂け目」となるからだ。


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