第687話 「余す」所なく集める
「『二枚目』って散らす者?」
「そう、羊を散らす」
「では『一枚目』が戻れば?」
「当然、集めるはず」
・・・
【amass】 アマス
財産・情報集める、貯める、蓄積。
…を集める。
この日本語が浮かんだ。
◉余す所なく
『余す所』には、別の意味があったのだろうか?
※ 「何かが隠れている」と思える表現だ。
見失った羊のたとえ - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E5%A4%B1%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%BE%8A%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88
「一枚目イエス」が「集めたい」と考えるのは、
貧しい中、冷たい風を耐えながら生きている庶民。
しかし、「二枚目」の社会には「ヨベルの年」も存在せず、重税に加え、あらゆる剥奪が横行して来た。
『団結されちゃ困る』
個々の立場を切り離し、バラバラにして支配する政策だ。
「それが変わる」という噂もある。
■天下りの観念
『アマス』という言葉は当初、「持て余すほど『徹底徴収』」というマイナス・イメージがあったのかも知れない。
「二枚目」支配の社会なら、それが常識であり、上層から凍りつくような水が流れて来る。
それが、天下りを通して社会を冷やし、賞味期限を過ぎた食品や、豊作で余ってしまった作物なども余す事なく捨てられて来た。
金銭枯渇の貧乏庶民は、「命の心配」までしなければならない。
(寒々・閑散…)
一部のボランティアが頑張っても、後ろ盾が無いから「団結心」に発展しない。
「二枚目」が「一枚目」のフリをしても、社会の温度だけは誤魔化せないのだ。
■ふと浮かんだ解釈
もしかすると、
「アマス・トコロ・ナク」という深意は、これかも知れない。
→ amass・tokoloshe・無く
【tokoloshe】トコロッシュ
(南アフリカ民間伝承)
「トコロッシュ」
悪意を持った架空の動物。
(妖精)
「小さく黒い姿の『鬼』」である。
勿論、「選民」がこの伝承を知っていたという証拠は無い。
しかし奇妙にピッタリ来る。
これを加味した場合、
「アマス・トコロ」無く…は
こうなる。
→ 「徹底収集の鬼」を排除して
これこそ、「一枚目イエス」の本質だ。
この先、
『余す所なく集める』羊飼いに期待しよう。
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