第683話 八百万は崇拝相手じゃない?

「崇拝って『男女』の話なの?」

 「そう、凄く解りやすい」

「例えば?」

  「『射止める』と言うね」

「あー、言う言う」

  「相手の気持も入れよう」

「うん」


・・・

聖書に何度も教えられる。


→ 神は『男』

→ 選民は『女』


そして崇拝は、


→ 的を射る行為


意識の収束が必要になる。


「あの相手だ!」と・・・




 ■ソロモンの妻は?


正妻と側室を合わせて千人。


イエスの話を思い出そう。


『野のユリ』は「千本の相手」を求めているだろうか?


→ いない


一つの相手と結婚し、その「実」を結んで終わる。


これこそ

「ソロモンより優れた装い」

とイエスは教えていた。


→ 『的』は「一つだけ」


つまり、


「たった一つの神への崇拝」


これこそが、

『最高の装い』なのだと。




 ■今日は誰にしようかな?


日本は『多神教』とされているが、そうではない。


「八百万」は「神々」とされていても『崇拝対象』ではない。


「天使」は星の数ほどいるにしても、決して崇拝を受けようとはしない。


ヨハネは、自分の前の天使を崇拝しようとしたが、こう言われた。


「やめなさい」


神の使いは現在、天に3分の2が残っているが、崇拝は拒否される。


選民が崇拝の相手とするべきは、「契約の夫」の「井ノ神」だけだからである。


『的』は一つしかない。


それが、イエスの教える「装い」であり、「心からの反射」が返されるのだ。




 ■意中こそ『反射』の条件


創造主は相手を見ている。


『妻』としての選民が、「自分だけを頼りにしている」・・・


これを知る『夫』からは、それに見合った反射が帰って来る。


『私はこの妻を養い、護ろう』


選民にとって、『的』は一つしかない。


イエスが『父』と呼ぶ存在だ。


→ 井ノ神


『選民』は「意中の人」。


だから、「八百万は崇拝相手じゃない」のである。


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