第682話 山を替えた夢
「意味不明の夢があってね」
「お、どんな?」
「車の屋根を取り替えた」
「ありゃ?」
「ガラスも含めて上半分」
「そりゃ大変」
「けど、その車が気に入った」
「確かに妙な夢だ」
「意味、解きたいねー」
・・・
あまりに変だから、解明も諦めていた。
しかし、ふと思った。
「日本は、大和民族だっけ」
■この屋根は変えないと
「大和」という名は、それほど古い歴史じゃない。
しかし、「山」という言葉を含め、国民の常識として被さっている。
これが実は、「『夜の神』を被る」という意味を持っていた。
山の神は→ 夜間(やま)の神
「やられた!」
「鬼に」
■「居間の神」こそ本物だ
「山」本来の発音は、
「イハ・マ」である。
上に被さる創造主の名は、
→ イハ
(「岩」の古語が『イハ』)
それは大きなヒントであった。
いつの間にすり替えされたか判らないが、
本来は「山」も「イハ・マ」だったに違いない。
→ イハ(岩)のマ(間)
ところが、民族の早口でそれが「ヤマ」に訛ってしまったようだ。
→ ヤ(矢の神)の魔
※ ここで急に、我が家の「ネズミ」の活動が活発になり、物音を立て始めた。(執筆阻止?)
せっかく、民族全体を騙し、屋根をかぶせたのに、「バラすのか」…邪魔してやる…という雰囲気である。
戦争で、戦艦大和も沈んだように、大和民族も沈まないよう、認識を正したい。
神の名を正しく理解していれば、戦艦に「夜の神」の名を付したりしないだろう。
そして、「『ヤマ』が正しくない言葉である」…と知りながら使えば、歴史を変えられるかも知れない。
恐いのは「無意識の動き」であるからだ。
■意識は「的」に向けるべし
人からの称賛も侮蔑も、「石」のように飛んで行く。
風のような無特定のエネルギーではない。
美形の人が多くいても、その中で憧れのスターに人は的を絞って執着するからだ。
つまり、人の意識は善悪とも「的」に向けられる。
「悪人」という「漠然の目標」に向かうものではない。
これを勘違いした王がいた。
「イエスの誕生」を知って同年齢の男児全てを殺した「ヘロデ王」である。
その名は的を絞らない「愚かな王」として歴史に残されている。
この先も永遠に残るだろう。
鬼に対する人の意識も「石礫」(いしつぶて)だ。
鬼はその的にされないよう姿を消し、名を告げない。
このように、「個」を特定するために「名」が存在している。
普段、何気ない会話の中に「名」があっても、それは意識を向けられず、称賛も侮蔑も飛んで行かないのだ。
我々が「井ノ神」、「矢の神」と意識を向けた時だけ、崇拝が成立するのである。
大切なのは、「的のすり替え」に騙されない事。
→ 崇拝の的は『井ノ神』
車の屋根は人を保護するカバーだが、
それを取り替えて喜んだ奇妙な夢は「保護の覆い(宗教の山)を取り替える」と同義なのだ。
つまり
→ 「山を替えた夢」
それは、「満足」と「真の保護への道」を教えていたのだろう。
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