応援コメント

第625話 「切り花」になる前に」への応援コメント


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    ヒロソ様。

    野の花と切り花。面白いお話の展開だと読み進めたのですが、「この世しかない。」と人を洗脳する鬼について警戒を促しながら・・・人の人生を他人の道に繋ごうとする態度である。・・・ 二枚目の枝道に入った弟子は、「他人となって生きる輪廻の教え」を無意識に受け入れてしまう。・・・「同一人物」として復活する話。・・・人も顔貌や記憶が飛んでしまうなどと考えるべきではない。・・・など、逆に「この世の生、この世の自分しかない」と取れるような内容になっているように感じます。

    同一人物とか他人とか考えるのはこの世のあり方のように思えます。ヒロソ様は鬼は「他人となって生きる輪廻の教え」を受け入れさせようとしているという文章で何を表現されようとしているのでしょうか?掴めません。

    この世に生まれてきた事自体、すでに本来の自分では無いとは思いませんでしょうか?この世の顔貌は本当の自分の顔なのでしょうか?禅の公案に「生まれる前のお前の顔」というものがあったように思いますが、今回のヒロソ様のお話を読んで朧気ながら、この公案を投げ掛ける意味が解ったように感じました。