第615話 夜明けの子供
「神の王国に入りたい」
「『子供』なら入れるよ」
「その意味、教えて」
・・・
一言に意味が複数。
一つは「素直さ」。
大人は複雑に考える。
しかし、子供はシンプル。
「終わりの日」という言葉も、そのまま受け取る。
「もう終わりか」
子供は「利害関係」や「体制の維持」に縛られない。
会社経営者だと・・・
「これが終わっちゃ困る」
「苦労してやって来たのだ」
政治的立場があると、
「今さら放棄できない」
「前言撤回なんて」
宗教の場合は?
「面子はどうなる?」
「顔向けできないぞ」
『正しい話』を繰り返して来た態度を撤回すれば、「面子」は丸つぶれ。
それでも『朝』は来る。
■折り合いを付ける道は無い
「子供は気楽でいいな」
そう思うだろうか?
イエスに近付いた金持ち青年が、共に歩めなかった理由は、
「富」(資産)を庇うため。
「出世して得たもの」を捨てるのは、
苦渋の決断・・・
しかし、「世の営み」が終わると「築いた地位」も連動して終わる。
だから、
『子供になれ』という一言に
込められた意味は大きい。
その日、
柵(しがらみ)を持たない子供が羨ましく思えるのだろう。
■「夜はもう無い」
聖書に、そう書かれている。
理由は?
「情報の闇」が消滅。
日本人には、前もって教えられている。
世の神→ 「夜」の神
それは、黙示録で白い馬に乗って「弓」を手にしている。
→ 「矢」の神
「『や』の神」が消えるという意味なので、
「やおよろず」という名称も消えるのだろう。
その後は「白羽の矢」が飛ぶ事もない。
『犠牲をよこせ』という厄介な声が途絶える。
「やの民」には抜け道が無く、折り合いも付けられない。
■隙間からの光
目覚めはやはり、「光」による。
光とは?
→ 裏情報
一部の人がそれを見つけ、警告を発して来た。
しかし人々は、マスコミの寝言で夢を見ていた。
「もうチョット寝る」
その間に、光はどんどん強くなって誤魔化せなくなる。
「外をなにか通ってる」
「えっ?」
パジャマで飛び出すと恥を掻くから着替えよう。
「切符を配ってる」
「えっ、何の切符?」
「王国の」
「うわっ!」
金持ちも出遅れるが、寝坊助も困った事になってしまう。
是非、早起きできる『夜明けの子供』になりたいものである。
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