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2023年1月8日 21:10 編集済
ヒロソ様。学校でも社会でも、いじめに対して無抵抗でいるといじめはエスカレートします。今は獣の世ですので人の心が通りません。鬼に対しても遠慮せずに「鬼への復讐」を表明した方が良いように思えます。ただ、日本人には「因縁」という漠然とした考えがあり「復讐」に尻込みをしてしまうのでしょう。しかし、「悪因縁」を作らない「復讐」方法があります。自分が理不尽な仕打ちを受けたとしても、自分では無く他人が理不尽な仕打ちをされたという視点で、私的な感情を交えず、公正な観点から理性的に不正を正すように鉄槌を下せば良いようです。ただし、この時に迷いがあるようでしたら「復讐」はしない事です。聖書には「悪魔を憎め」とあるようですが、憎しみの「感情」をぶつけるのは危険です。我が身に帰って来るからです。「悪魔を憎め」と記された意図は怒りからでしょうか?怒りであるなら「神的な怒り」・・・私的な怒りでは無く、宇宙的な観点から不正を正すという理性的な怒り・・・なら問題は無いのですが、人間的私的な怒り・・・鬼のせいで酷い目にあったという思い・・・ですと己に帰ります。「復讐」表明は必要に思えますが、この「悪魔を憎め」という聖書の記述には疑問が残ります。
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ヒロソ様。
学校でも社会でも、いじめに対して無抵抗でいるといじめはエスカレートします。今は獣の世ですので人の心が通りません。鬼に対しても遠慮せずに「鬼への復讐」を表明した方が良いように思えます。
ただ、日本人には「因縁」という漠然とした考えがあり「復讐」に尻込みをしてしまうのでしょう。しかし、「悪因縁」を作らない「復讐」方法があります。
自分が理不尽な仕打ちを受けたとしても、自分では無く他人が理不尽な仕打ちをされたという視点で、私的な感情を交えず、公正な観点から理性的に不正を正すように鉄槌を下せば良いようです。ただし、この時に迷いがあるようでしたら「復讐」はしない事です。
聖書には「悪魔を憎め」とあるようですが、憎しみの「感情」をぶつけるのは危険です。我が身に帰って来るからです。「悪魔を憎め」と記された意図は怒りからでしょうか?怒りであるなら「神的な怒り」・・・私的な怒りでは無く、宇宙的な観点から不正を正すという理性的な怒り・・・なら問題は無いのですが、人間的私的な怒り・・・鬼のせいで酷い目にあったという思い・・・ですと己に帰ります。
「復讐」表明は必要に思えますが、この「悪魔を憎め」という聖書の記述には疑問が残ります。