第605話 功徳を積む話

「『笑う門に』来るのは?」

  「『福』でしょ」

「詳細が知りたいな」

  「よし」


・・・

【笑う門には福来たる】

いつもニコニコと笑いが満ちる家には幸運が巡り来る。



この場合の「カド」は、

これかな?



【cuddle】カドル

愛情込めて抱きしめる。

抱いて可愛がる。

抱擁。



「笑う」には「ワランティー」が重なっているかも知れない。



【warrantee】ワランティー

保証を受けた人。




「cuddle」は日本で「くどる」とも読めるので、こんな言葉が浮かんだ。


→ 功徳(くどく)


そして、こんな聖句も。




マタイ 25:40 (『王』の喜び)

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』



この『王』は、「王の中の王」と呼ばれる存在だろう。


「小さな者」の喜びを、

『王』が共有している?


例えば?



25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、

25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』




これが『王」を喜ばせる行為だが、「鬼」もそれは知っている。


だから、

→ 崩しに来る



【賽の河原】サイノカハラ

(仏)子供がシンでから苦しみを受ける冥土の三途の河原。意思を積んで塔を作ろうとすると鬼が来て崩す。これを地蔵菩薩が救うという。

(転:無駄な努力)



「地蔵」は「ジーゾス」(未来仏)と理解しているが、「賽の河原」も「サーイ(悪魔)の河原」に合致する。


地蔵が来る「前」に邪魔を入れようとするのは当然だ。


「河原」は「宗教」(川)の周辺を指す言葉。

(鬼が徘徊する)


ヤコブも、「ヤボクの渡し場」で夜通し鬼と格闘した。




 ■塔の意味は?


言葉を乱された「バベルの塔」にも鬼が関与している。


「塔」は一致団結の象徴であり、鬼は逆に「散らす者」である。


温かい団結要素を見つけると、即座に邪魔を入れようとする冷たい連中だ。


念頭にあるのは、


→ 支配しやすくする

  (散らす事で実現)


頭角を表す人物が『王』からの覚え愛でたくなったら面倒だから、急いで引き離そうとする。


それを知る先人は、教えていた。


人類が「功徳を積む話」をする前に、「まず鬼退治」をしなければならないのだ。


散らされないために。


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