第604話 「二人の主人」を実感した
「最近の出来事は衝撃だね」
「どのニュース?」
「これ!」
「えーっ!」
・・・
何?トヨタもか!
https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/f58d83c7c4192abdb22d98a0be86a752
ここまで来るとは考えもしなかった。
しかし現実だ。
日本全土に及ぼす影響
それを連想して思った。
「福音書の通りだ」
「除外された人は幸福だった」
マタイ 6章(神と富)
24「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
この世で幸福をもたらすのは、富じゃない。
人類を物欲や金銭欲で支配していた「世の神」の時代が終わる・・・
→ 夜明け
この落差を感じた人は、目が覚めるだろう。
もし、「夜の富」を手にした当事者だったら、こう思ったはずだ。
「今までの頑張りは、何だったのか?」
「幸福は夢に消し飛んだ」と。
■福音書を実感する日本人
荒屋の中で、この時期を迎えたのが幸福とは、皮肉だが。
しかしここは正に、「あばら骨」と呼ぶべき場所だった。
「明日は何を食べようか」と思い悩む気持ちを見せると鬼が喜ぶからと、心労を全て頭の中から追い払った、
それも確かに、「救い」といえば救いである。
※ 福音書のイエスはなぜ、極貧の者に向けた表現を使ったのか?・・・それが理解出来た。
イエスが「最低生活の人々」に向けて話している理由は?
鬼に憎まれるほど、どん底に追い込まれるからだ。
そのあたりは理解していたが、戦いを諦める気持ちは毛頭生じない。
「二人の主人」は両極端を指していた。
それが終わりの日に成就している。
実感できて幸いと言うべきだろうか?
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