第594話 照らす戦い
「イエスは『天照』だね」
「そうね」
「この名は『現象』という意味?」
「『行為』でもあるよ」
・・・
難しそうな問答だ。
しかし、イエスの戦いを観察していると、「天照」が適切であったと感じ取れる。
まず、以下に留意する必要がある。
→ イエスは『鬼』と戦っている
人間しか眼中に無い場合、福音書の理解が浅くなる。
我々は、深い理解を持ちたいのだ。
■嵐を静めたイエス
マルコ4章
35 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
36 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。
37 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。
38 ところが、イエス自身は、艫の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。
39 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。
40 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。
41 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。
聖句は、重要な部分が省かれている。
→ 悪霊(鬼)
「鬼の世」に流通させるための措置であった。
(鬼は自分を隠す存在なので)
だから、我々が「鬼の存在」という意識を補って聖句を解釈しなければならない。
イエスは当然知っていた。
→ 鬼が風を吹かせている
いわゆる、自然現象への「成りすまし」である。
イエスは「信仰」という言葉を使って、「鬼を見破れ」と教えているわけだ。
こんな言葉がある。
【衒う】テラフ
(照らふの意)
輝くようにする、ひけらかす。
見せびらかす。
鬼は「自然現象」を衒って人々を騙す。
しかしイエスはそれを見破り、背後の鬼に意思をぶつけている。
もしイエスが、「これは鬼が吹かせる風である」と説明を入れていたら、世を牛耳る鬼がそうした聖書を流通させただろうか?
■法に照らすイエス
問答を通して戦うイエスの姿が以下の聖句にある。
マタイ4章
1 さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。
2 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
3 すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
5 それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて
6 言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。
7 イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
8 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて
9 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
10 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 11 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
「書いてある」の連続だ。
イエスは、「天の法」に「照らし」てサタンを退けているのである。
これが、鬼と戦う基本であり、「照らす」という手法である。
なぜなら鬼は、四角四面の法に沿って動き、人を法に「衒し」ながら、これみよがしに罰するからである。
※ 鬼は、「落とし穴に落とす」ための「法作成」が大得意。
法の権化である「サンヘドリン」と常に衝突したイエスだった。
その戦いは、「鬼の特質」を熟知した御子の「照らす戦い」でもあったのだ。
鬼は「ならず者」ではない。
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