第592話 「女」に石を投げる資格とは

「夢に、子供の頃の悪さが出て来てね」

  「柿の実を盗んだとか?」

「そう、ボクもやっぱり罪人だ」

  「誰にも言えるよ」

「夢の意味は、深そうだね」

  「たぶん深いと思う」

「知りたいけど恐い」


・・・

聖書の『女』とは、

『罪深き神の国』を意味している。


よく目にするのは、上層部の汚職など・・・


悪事が報道されると、批判の石を投げたくなるが、


我々は、全ての背後に「鬼がいる」と知っている。


「罪作り」だけでなく、

「裁きの現場」にも鬼は関与している。


それでイエスは、目の前に連れて来られた「姦淫の女」を「どう裁きますか?」…と聞かれた時、


「あなた方の中で罪の無い者がまず石を投げなさい」


・・・そう言ったのだ。



鬼は「罪作り」に関与しておきながら、同じ人を「裁く」話にも口出しする。


聖書の『女』(選民)に関しても、そうした深い視点を通して観察しなければならない。




 ■女を裁く「資格」は誰に?


日本という国家も、石打ちの刑に値するほど酷い実情が見え隠れしている。


しかし結局、裁きの資格は「天の神」にあり、そこにしか無いと思う。


個人についても同じだ。

参考は、この聖句。




黙示録22章(御使いの伝言)

10 またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。

11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。

12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。




「それぞれのしわざ」とは、


「その時」

どんな道を歩んでいるか?


そんな意味だろう。


→ 「行うままにさせよ」


こう語る理由は、「神の選び」が「個人の歩みに出る」という示唆だろうか。


過去はどうあろうと、

その日、「選ばれし者」に「気付き」が生じ、自らが道を替えるはずなのだ。


「行きなさい」

「もう罪の道に戻ってはならない」


ここが鬼とは異質。

「神の裁き」である




(最初から最後まで見ている)

13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。

14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。



人々よ、

命の『センタク』をしよう。


まず、「自分の着物」である。


「『女』に石を投げる資格」は天の神にしかない。


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