第560話 血塗られたイエス

「イエスの人物像って?」

  「『平和の君』」

「けど、黙示録だと血まみれだよ」

  「誤解されてるのよ」

「どんなふうに?」

  「二枚目が関係する」

「あー墓の前の主だね」

  「うん、それで補足が必要」

「どんな?」


・・・

以前に記した近況ノートから


2022年12月1日 08:56

「血染めの服」の主


黙示録の19章13節に「血染めの衣」という表現があった。



黙示録19章(正義の戦い)

11 またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。

12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。

13 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。



この時、イエスの服が「血染め」である理由は書いてないが、


キリスト教世界では、

「自分自身の血」という見解が多いようだ。


私も実は、そんな気分があったのは確か。


しかし、「二枚目による支配」を考えていたら、別の意味が浮上した。


→ 二枚目がやらかした事



聖書が教えるイエスのイメージは「平和の君」。


その主人は、墓に入るまで人の血を流していない。


処刑された時、血は流れたが「服に染み込む形」ではない。


つまり、「血塗られたイエス」を未来に残したのは、墓の前の主であり、彼が後の世界を支配した結果、キリスト教のイメージが変えられてしまった。


→ 血を流す宗教(キリスト教)


それより前のユダヤ教時代、「選民の服」は確かに「血まみれ」であった。


彼らを支配して来たのは、世の神だったからだ。


→ 血生臭さい神


この神に支配されると、民は大量の血を流す。


しかし、イエスは「平和」を信条としている。


つまり、黙示録で「神の『言葉』」(ロゴス=神の右腕)と呼ばれる存在が着る「血に染まった服」は「濡れ衣」なのである・・・


→ 二枚目の仕業



もし、「二枚目」が「一枚目」と同一の存在だったなら、

その衣は


→ 真っ白


「平和の君」であれば、それは当然。



結局、

黙示録が教えるのは、

「血塗られたイエス」であり、

それは「『二枚目』の引き起こした事態」であったのだ。


騙されてはならない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る