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2022年12月18日 13:26 編集済
ヒロソ様。ユダ・イスカリオテつまり「悪」については複雑です。ユダ・イスカリオテは「イエスを売る事によってキリストの行いを成就させた。」というのです。その為に・・・人々を救済する為に・・・キリストはユダ・イスカリオテを受け入れたのですから、ユダ・イスカリオテはある意味「キリストを助けた功労者」なのですが、恐らく人類から憎まれるでしょう。こんな役目は誰も引き受けたくないと思います。それで「生まれて来ない方が良かった」と言われたのかも知れません。キリストの御業ミワザを成就させた功労者がもう一人?います。それは、サタン(アーリマン)です。私事ですが、私がキリスト教徒になれなかった理由はイエスのこの言葉に躓いたからです。それは「人はパンのみによって生きるにあらず・・・」という有名な言葉です。釈尊によると世の中が悪くなった原因は「食べる事に困った人による盗み」でした。これは納得のできる答えでした。人が何故苦しむのか?日々の食べ物を得る為です。食べなければならない為に苦しんでいます。この事は聖書に原罪として描かれていると思います。その人の苦しみをまるで無視するかのようなイエスの言葉に「救世主の言う言葉か?彼は人の苦しみを本当に理解していないのでは無いのか?」と思い、答えは保留という事で、キリスト教とは距離を置くことにしました。ウケモチオホカミを死なせてしまったのはキリストのこの言葉とも関係があるように直観しました。ウケモチオホカミ殺害は天界の地上への無理解が招いた事のように思えました。また、ウケモチオホカミ殺害による人々の食料問題に頭を悩ませ、稲作にたどり着いた日本の神々の方が現実的で正しい行いのように感じました。その後、この躓きへの答えを一冊の書物に見いだしました。シュタイナーの「第五福音書 イザラ書房」です。伝統的キリスト教徒には奇妙で理解できない内容のようですが、私は「イエスの誤謬」を指摘するこの書物に驚愕しました。書物に答えが記されているとは思っても見ませんでした。以下長文となります。同書p.103~・・・キリストはアーリマンに答えます。「人はパンのみによって生きるのではない。人は霊界から霊として下るものによって生きるのである。」───キリスト存在は霊界から下って来たばかりなので、このことをよく知ってゐたのです。アーリマンは語ります。「汝の言ふことは正しいかも知れぬ。だが、汝が正しいとしても、私には妨げとはならない。別の方法で汝と戦ふことができる。汝はただ天の高みから下って来た霊の行なふことしか知らぬ。汝はまだ人間の世界に入ったことがないのだ。人間の世界には実際、石をパンに変へることを必要としてゐる、汝がまだ知らぬ者どもがゐる。彼らはただ霊だけによっては生きてゆくことができないのだ。 アーリマンがキリストに語ったのは、地上の人間には既知でありながら、地上に歩み入ったばかりの神には未知のことでした。地上では人間がパンを得るために、金属を金銭にする必要があるといふことを神キリストは知らなかったのです。アーリマンは地上の哀れな人間どもは金銭によって生きてゆくやうに強いられてゐると語ります。この点に於いてアーリマンはまだ力を有してゐます。「この力を用ゐるつもりだ。」とアーリマンは言ひます。 これが荒野の試みの実際の情景です。荒野での試みは片づいていないのです。…略…アーリマンの問ひを解くために別のことが必要になってきます。・・・(以上、抜粋。)神社で「高次の存在が地上の事を知らない」という体験は幾度となくありました。ですから、高次の存在が自ら地上の生活を体験し生きて見せる、人に生きる方法を教えるという日本の神々の行いはとても尊く感じました。同書p.112~・・・キリストが霊界に於てではなく、ただ地上に於てのみ解決できるものとして残ってゐた問ひに関して、アーリマンは強大な力を得ていました。キリストは石をパンに変へる、あるいは、金銭をパンに変へるといふ問ひの意味するものを苦難に満ちた行為によって経験しなければなりませんでした。アーリマンはイスカリオテのユダを利用したのです。…略…キリストが地上での苦汁に満ちた行為を通して初めて知った手段が使はれました。ユダを通してキリストに近づくのです。アーリマンに仕へる者を使ってのみキリストを見つけ出す事ができたのです。実際、金銭を通して裏切りがなされました。荒野での試みの際に知らされたことを通してキリスト・イエスはユダと結ばれます。地に下ったばかりのキリストは石をパンに変へる必要はないといふことが天界に於てしか正論でないことを知りませんでした。アーリマンが取っておいた棘によって、裏切りが行なはれたのです。キリストは死の主アーリマンの支配下置かれます。荒野の試みとゴルゴダの秘蹟はユダの裏切りと関連しているのです。・・・抜粋(了)・・・アーリマン(サタン)の問いに対する「誤謬」・・・キリストの答えは天界では正しくても地上では正しくなかったのです。・・・により、キリストは磔刑になったという事ですが、同時にこれはゴルゴダの秘蹟の成就でもあります。ゴルゴダの秘蹟の成就によりキリストは地球の霊となり、あらゆる「悪」、金銭も含めアーリマンの築き上げてきた事柄に浸透する事が出来るようになりました。「悪」がキリストの浸透により改造されるのです。「荒野での試みは片づいていないのです」この意味は、現在の社会状況に身を置く私たちにはより身近に感じられると思います。「第五福音書」はイザラ書房と春秋社から出版されています。ぜひ、御一読いただければ幸いです。また、カルマの法則は必ずしも前世を知る事とは限りません。人間を変える方法としての研究が建設的であると思います。長々と失礼しました。世界は分岐点にあります。情報の交換が必要かと思い引用しました。
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ヒロソ様。
ユダ・イスカリオテつまり「悪」については複雑です。ユダ・イスカリオテは「イエスを売る事によってキリストの行いを成就させた。」というのです。その為に・・・人々を救済する為に・・・キリストはユダ・イスカリオテを受け入れたのですから、ユダ・イスカリオテはある意味「キリストを助けた功労者」なのですが、恐らく人類から憎まれるでしょう。こんな役目は誰も引き受けたくないと思います。それで「生まれて来ない方が良かった」と言われたのかも知れません。
キリストの御業ミワザを成就させた功労者がもう一人?います。それは、サタン(アーリマン)です。私事ですが、私がキリスト教徒になれなかった理由はイエスのこの言葉に躓いたからです。それは「人はパンのみによって生きるにあらず・・・」という有名な言葉です。釈尊によると世の中が悪くなった原因は「食べる事に困った人による盗み」でした。これは納得のできる答えでした。人が何故苦しむのか?日々の食べ物を得る為です。食べなければならない為に苦しんでいます。この事は聖書に原罪として描かれていると思います。
その人の苦しみをまるで無視するかのようなイエスの言葉に「救世主の言う言葉か?彼は人の苦しみを本当に理解していないのでは無いのか?」と思い、答えは保留という事で、キリスト教とは距離を置くことにしました。
ウケモチオホカミを死なせてしまったのはキリストのこの言葉とも関係があるように直観しました。ウケモチオホカミ殺害は天界の地上への無理解が招いた事のように思えました。また、ウケモチオホカミ殺害による人々の食料問題に頭を悩ませ、稲作にたどり着いた日本の神々の方が現実的で正しい行いのように感じました。
その後、この躓きへの答えを一冊の書物に見いだしました。シュタイナーの「第五福音書 イザラ書房」です。伝統的キリスト教徒には奇妙で理解できない内容のようですが、私は「イエスの誤謬」を指摘するこの書物に驚愕しました。書物に答えが記されているとは思っても見ませんでした。以下長文となります。
同書p.103~・・・キリストはアーリマンに答えます。「人はパンのみによって生きるのではない。人は霊界から霊として下るものによって生きるのである。」───キリスト存在は霊界から下って来たばかりなので、このことをよく知ってゐたのです。アーリマンは語ります。「汝の言ふことは正しいかも知れぬ。だが、汝が正しいとしても、私には妨げとはならない。別の方法で汝と戦ふことができる。汝はただ天の高みから下って来た霊の行なふことしか知らぬ。汝はまだ人間の世界に入ったことがないのだ。人間の世界には実際、石をパンに変へることを必要としてゐる、汝がまだ知らぬ者どもがゐる。彼らはただ霊だけによっては生きてゆくことができないのだ。
アーリマンがキリストに語ったのは、地上の人間には既知でありながら、地上に歩み入ったばかりの神には未知のことでした。地上では人間がパンを得るために、金属を金銭にする必要があるといふことを神キリストは知らなかったのです。アーリマンは地上の哀れな人間どもは金銭によって生きてゆくやうに強いられてゐると語ります。この点に於いてアーリマンはまだ力を有してゐます。「この力を用ゐるつもりだ。」とアーリマンは言ひます。
これが荒野の試みの実際の情景です。荒野での試みは片づいていないのです。…略…アーリマンの問ひを解くために別のことが必要になってきます。・・・(以上、抜粋。)
神社で「高次の存在が地上の事を知らない」という体験は幾度となくありました。ですから、高次の存在が自ら地上の生活を体験し生きて見せる、人に生きる方法を教えるという日本の神々の行いはとても尊く感じました。
同書p.112~・・・キリストが霊界に於てではなく、ただ地上に於てのみ解決できるものとして残ってゐた問ひに関して、アーリマンは強大な力を得ていました。キリストは石をパンに変へる、あるいは、金銭をパンに変へるといふ問ひの意味するものを苦難に満ちた行為によって経験しなければなりませんでした。アーリマンはイスカリオテのユダを利用したのです。…略…キリストが地上での苦汁に満ちた行為を通して初めて知った手段が使はれました。ユダを通してキリストに近づくのです。アーリマンに仕へる者を使ってのみキリストを見つけ出す事ができたのです。実際、金銭を通して裏切りがなされました。荒野での試みの際に知らされたことを通してキリスト・イエスはユダと結ばれます。地に下ったばかりのキリストは石をパンに変へる必要はないといふことが天界に於てしか正論でないことを知りませんでした。アーリマンが取っておいた棘によって、裏切りが行なはれたのです。キリストは死の主アーリマンの支配下置かれます。荒野の試みとゴルゴダの秘蹟はユダの裏切りと関連しているのです。・・・抜粋(了)・・・
アーリマン(サタン)の問いに対する「誤謬」・・・キリストの答えは天界では正しくても地上では正しくなかったのです。・・・により、キリストは磔刑になったという事ですが、同時にこれはゴルゴダの秘蹟の成就でもあります。ゴルゴダの秘蹟の成就によりキリストは地球の霊となり、あらゆる「悪」、金銭も含めアーリマンの築き上げてきた事柄に浸透する事が出来るようになりました。「悪」がキリストの浸透により改造されるのです。
「荒野での試みは片づいていないのです」この意味は、現在の社会状況に身を置く私たちにはより身近に感じられると思います。「第五福音書」はイザラ書房と春秋社から出版されています。ぜひ、御一読いただければ幸いです。
また、カルマの法則は必ずしも前世を知る事とは限りません。人間を変える方法としての研究が建設的であると思います。
長々と失礼しました。世界は分岐点にあります。情報の交換が必要かと思い引用しました。