第546話 一言足りない

「損してる人、多いね」

  「なんで?」

「一言足りない」

  「うん、それでよく喧嘩する」


・・・

補足する必要を放置すると、

相手に誤解される。


私自身もそうだ。




 ■常に一言足りない


飛ばし過ぎで後から追い付けない考察がある。


「補足しない」から誤解されるのだ。

それが欠点だが神経が行かないので、欠点の上塗りとなってしまう。



人智学は、人間との付き合いを重視し、「人を納得させる」という力点へと導くからこそ人気がある。


しかし、その礼儀を無視する自分がいる。


→ 誤解されても放置


鬼の影響だろうか?


奇妙な言い訳が口から出る事もよくあるが、それは意味がないという分析は出来る。


言い訳がむしろ、悪い印象を与えており、私の損である事も知っている。




 ■補足すれば「愛」


愛しているからこそ貶す。

これをテーマに考えよう。


人が頼りにし、愛している相手から裏切られた場合、こんな思いが生じる。


この欠点を補えばいいのに…



考察で、「日本はバビロンだ」と書いたが、実は「期待感」の裏返し。


単に潰そうとしているのなら、角度は違っているだろう。


間違いを ← 褒める


褒められたら、「潰そう」という動機に気付くはずもない。



人の心理として、貶されたら「その裏に愛がある」という動機を想定できない。


しかし、それがイエスの態度でもある。


「この部分を正しなさい」

「そうすれば、愛される」




 ■鬼への想定は最重要


人智学が偉大な事は認めつつ、その中に一つ抜けているのは「鬼への想定」だろう。

そう考えるようになった。


それなら、欠点を別の理論から補って融合し、一歩引き下がって眺めるのは如何だろう。



ファンならばこそ、敏感になると分析出来る。


昔は、天皇と神道にぞっこんだったから、その方面に目を向けていた。


ただ、歴史研究という角度からでなく、天皇が人を喜ばすような「実践面」で好かれるようになって欲しい・・・そんな気持ちからのファン意識だった。


しかし、誰かに後ろ髪を引かれる場合もあった。


私の「後ろの正面」は、奇妙な力で意識を上空に持ち上げ、鳥瞰図を見せたのだ。


→ ファン意識が昂じての批判


「バビロン」という言葉が口から出たとしても、単なる揶揄でないところは間違ってほしくない。


それは「愛」から出る言葉。



「一言足りない」という観察への「一言」は、これでもまだ足りていない。



追記:

一枚目イエスの福音は「選別」の言葉であり「餞別」の言葉でもある。

※ (罪に類別された羊を呼び寄せ装いの義人を遠ざける)



二枚目イエスの福音は「招待」の言葉であり「正体」の言葉でもある。

※ (羊もヤギも囲い込み、閉じ込める)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る