第518話 「結界」の考察

「結界が張れると楽だよね」

  「うん、鬼が入れないし」

「どうやればいいのかな?」

  「聖書流のやり方?」

「そう、教えて!」


・・・

鬼と戦う苦労は、並じゃない。


何時も、やられてから、やり返す…といった攻防戦が続いた。


最近、ふと思った。


「結界を張れないか」


「結界」は仏教用語だが、つまり「予防線」のようなもの。


「範囲を区切る」

「縄張りをする」


もし超えたら、


「こうしたら、こうなる」

「ああしたら、こうなる」


牽制効果が生じるだろう。


しかし、「無理かな」と思った理由がある。


→ 鬼はならず者だから…


辿り着いた結論は、鬼がある種の規範に沿って動いているという理解だった。


(ここから先は推理)



例えばヨブ記でのサタンが、

こんなセリフを吐いている。


「皮のためには皮」


分析すると、サタンも「規範を無視せずに動く」という意味だ。


楽園で、イブを騙す時も。


→ 水を向ける形


誘導はしているが、「取って食べろ」とは言ってない。


「嘘」や「強要」を避けて通っている。


「二枚目」がイエスに化ける時も、決して「私はイエスだ」と集団に告げていない。


ただ、パウロだけに聞こえる形で「私はイエスだ」と告げた。


律法に、こう書かれているからだ。


→ 証人は二人以上が必要


だから、人が二人以上集まっている場面では、「イエス」を名乗れなかった。


パウロ一人にいくら嘘を告げたとしても「罪に問われない」と知って行動しているのだ。


この観察によれば、「鬼にも予防線が通用する」…と考えるようになった。


つまり、「結界」(予防線)を張ることが出来る。


しかしその権威は?


イエスの言葉から分析。


→ 聖霊が権威を与える




ヨハネ14章

16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。




非常に謎めいた説明だが、聖霊を霊者のような「人格的存在」とする解釈は腑に落ちない。


別に、「エネルギーの存在」とする解釈もある。


イエスはこんな説明もしている。


→ 「聖霊には逆らえない」


それがプラズマのようなエネルギーであれば、確かに「逆らえない存在」である。



ヨハネの聖句では「助け手」と教え、「霊者」を思わせる表現である。


しかしそれなら、「天使」と告げるのが普通ではないかと思う。


この特殊な存在について、こうした意味の表記がある。


→ 結界を護る者


「地の四隅」に立ち、その地を護り続ける霊者である。



黙示録7章(結界の管理者?)

この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。

2 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、

3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。



「四人の御使い」は、四六時中、結界を護っているのだろうか。


まるで機械のように。


これを比喩的表現と捉えるなら、我々もそうした形で護られると解釈出来そうである。


イエスが去った後、弟子たちが無防備に晒されるとなれば、これほど鬼が喜ぶ話はない。


「聖霊が送られる」とイエスが告げているのは結局、その補完措置を指している事になる。




 ■縄張りを護る仕組み


「聖霊」が「政令」という発音に重なるのが不思議に思えた。


意味がありそうだ。


「権威ある縄張り」なら、鬼であっても侵さざる領域であるのは確かだろう。


それを「個人の護り」に適用可能だろうか。


土地のように札を立てたとしても、「人物」を護る事は出来ない。



試行錯誤しながら想定した聖霊の働きは、こうである。


→ 縄張りは「個人の意識」に記され「井之神の『政令』」と見做される。


※ イエスが、「それはあなたの内部にとどまる」と教えている理由も、そこにあるのではないだろうか。


鬼は、「個人の意識」に記された「立場」や「政令」を読み取って細かく回避しているらしいのだ。


だから、結果的に「人への結界」が実現されるのではないか。


「もし私に手出しすれば」

「『こう』なるぞ」



※ ついでに、「こう」という日本語も調査した。


『こう』→ クォう


 

【quote】クオート

1.人が言葉文書を引用する。

2.実例、典拠などを示す。

3.(…からの)引用文。



※ 日本語の「こう」は、英語の「クォ」に相当するようだ。



さて、今回の結論は・・・

心の中に、「自身の宣言」を刻むだけである。


私に手出しする鬼は『クォ』なるぞ・・・と。


(→ 底知れぬ所へ落ちるぞ)


これが「井ノ神の政令」に重なるのではないかと思えた。



今回の考察は、難しかったかも知れないが、ここまでにしたい。


「結界がどうなったか」については、また後日報告するつもりである。



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