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2022年12月3日 17:11 編集済
ヒロソ様。返信有り難うございます。崖から落ちたお父様を救ったのは「お狐」であると思います。神社では良くある事です。人を事故をから救うのは、生ショウを持つ神獣が多いように思います。感謝をするのはよいのですが、狐そのものを拝むのは頂けません。稲荷様を拝めば良かったと思います。また、神に頼りきるのも罪であると言います。どこの神社の氏子だったのでしょうか?ひょっとすると「お狐」に何か無礼を働いたのかもしれません。お父様を助けた「お狐」が例えば「笠間」であったのに、お父様が「伏見」の稲荷を祀ったというような事はありませんでしょうか?こういう理由で火災にあった家もあります。「お狐」といえども獣です。強い縄張り意識を持つと同時に、通力も持っています。また「お狐」の神罰?は執拗です。ヒロソ様の考察には大変助けられ感謝しています。しかし、聖書のロジックに嵌まると悪魔に道引かれるように思います。聖書自体が悪魔への入り口になっているように感じます。ヒロソ様は他の神への警戒感からどうしても日本を作ったのはキリストと言いたいようにお見受けします。しかし、それでは真実に至らないように思います。話は変わりますが、ホピインディアンの説話で「神は神殿を作る事を禁じた、それを悪い仲間が破った。」その悪い仲間がインカの人々という主旨の話があります。ホピインディアンと日本人は良く似ている言われています。ホピインディアンは日本人以上に悪魔を拒絶しているようですが、神国日本の民同様に辛酸を嘗めさせられています。「テスカトリポカ」にあるように、それが現在の資本主義と繋がっているようです。カイン→インカはあながち間違いでは無さそうです。ここに来て「生け贄」の本当の意味に気付かされました。神社でも「神々が人の数が減っていると嘆かれている」という話を何べんも聞かされました。祝詞の本にも「人が四つ足となり哀れ…」という主旨の富士浅間神社の託せんが乗っていました。しかし、何故そうなったかという納得出来る答えはありませんでした。いま思えば、皇室がこの件に関わっていたのですから答えられないのも無理はありません。「民は王を欲する」という人の弱さにつけ込まれたように思います。個々人が活躍する水瓶座の時代になる迄は悪魔から逃れられなかったのだと思います。「王を欲せず。」個人が協力して奮闘する以外は助かる道は無さそうです。悪魔は是非とも王を立てたいようです。しかし、日本人は(統治する)王を必要としません。日本で選民をかくまった理由がここにもありそうです。もはやユダ族などに拘る必要は無いと思います。ユダ族から素晴らしい人が現れるというのなら、放っておいてもそうなるでしょう。神輿もです。神々に預けておけば良いと思います。
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ヒロソ様。
返信有り難うございます。崖から落ちたお父様を救ったのは「お狐」であると思います。神社では良くある事です。人を事故をから救うのは、生ショウを持つ神獣が多いように思います。感謝をするのはよいのですが、狐そのものを拝むのは頂けません。稲荷様を拝めば良かったと思います。また、神に頼りきるのも罪であると言います。
どこの神社の氏子だったのでしょうか?ひょっとすると「お狐」に何か無礼を働いたのかもしれません。お父様を助けた「お狐」が例えば「笠間」であったのに、お父様が「伏見」の稲荷を祀ったというような事はありませんでしょうか?こういう理由で火災にあった家もあります。「お狐」といえども獣です。強い縄張り意識を持つと同時に、通力も持っています。また「お狐」の神罰?は執拗です。
ヒロソ様の考察には大変助けられ感謝しています。しかし、聖書のロジックに嵌まると悪魔に道引かれるように思います。聖書自体が悪魔への入り口になっているように感じます。ヒロソ様は他の神への警戒感からどうしても日本を作ったのはキリストと言いたいようにお見受けします。しかし、それでは真実に至らないように思います。
話は変わりますが、ホピインディアンの説話で「神は神殿を作る事を禁じた、それを悪い仲間が破った。」その悪い仲間がインカの人々という主旨の話があります。ホピインディアンと日本人は良く似ている言われています。ホピインディアンは日本人以上に悪魔を拒絶しているようですが、神国日本の民同様に辛酸を嘗めさせられています。
「テスカトリポカ」にあるように、それが現在の資本主義と繋がっているようです。カイン→インカはあながち間違いでは無さそうです。
ここに来て「生け贄」の本当の意味に気付かされました。神社でも「神々が人の数が減っていると嘆かれている」という話を何べんも聞かされました。祝詞の本にも「人が四つ足となり哀れ…」という主旨の富士浅間神社の託せんが乗っていました。しかし、何故そうなったかという納得出来る答えはありませんでした。いま思えば、皇室がこの件に関わっていたのですから答えられないのも無理はありません。
「民は王を欲する」という人の弱さにつけ込まれたように思います。個々人が活躍する水瓶座の時代になる迄は悪魔から逃れられなかったのだと思います。「王を欲せず。」個人が協力して奮闘する以外は助かる道は無さそうです。
悪魔は是非とも王を立てたいようです。しかし、日本人は(統治する)王を必要としません。日本で選民をかくまった理由がここにもありそうです。もはやユダ族などに拘る必要は無いと思います。ユダ族から素晴らしい人が現れるというのなら、放っておいてもそうなるでしょう。神輿もです。神々に預けておけば良いと思います。