第492話 狛犬は新参だった?

「神社の狛犬あるね」

  「うん、シンボル」

「あれ、江戸時代からだって」

  「なんだってー!」

「もっと古いと思ってた?」

  「そう」


・・・

(以下引用記事)


狛犬は中国から伝わり、魔除けの意味から神社やお寺に置かれるようになりましたが、それは江戸時代に入ってからのことでした。



※ (これ程重要な話だが、我々の知識に無かった。しかし、日本に特異な宮が一つある。)


→ 伊勢



狛犬は、神社の入り口両端によく立っていますが、伊勢神宮では見かけません。


伊勢神宮は江戸時代以前からあるので古くからの歴史を守り、狛犬は置いていません。



 (伊勢は狛犬不在)

伊勢にないもの・あるもの | 着物大事典 きものコラム | 京都、浅草で着物を楽しむなら、着物レンタルVASARA! https://vasara-h.co.jp/tips/detail.html?id=177


(引用感謝)




 ■伊勢の特殊性


伊勢だけが、

「孤立」している。


「狛犬」そのものは、「伝来が新しい」というだけで、存在そのものは古い。


ただ、聖書から神社を分類する必要がある。


「旧約」か

「新約」か


伊勢はどちらだろう?


イスラエルの神殿に狛犬は無かったので、その意味では旧約とも取れる。




 ■歴史の中の狛犬は一つ


古代日本に伝わった当初、狛犬は一体だけだった。


その姿は


→ ライオン


飛鳥時代には、霊獣である獅子(ライオン)が一つだけ置かれていたという。

(縁起物百科事典)


※ 正月の獅子舞はその名残。


平安時代、インドから来た釈迦像に「二体の獅子」が付随していたため、その影響で今の姿となる。


つまり、神社も仏教の影響を受けている。




 ■古代の思想から


推測を交えて考えよう。


イスラエルの先人は、エジプトで長期を過ごした。


そこにギザのピラミッドがあり、強い印象が日本語の「ギザギザ」という言葉に刻まれたと読める。


「スフィンクス」が一つだけあるギザの風景は、「神殿を護る霊獣は一つ」という印象を与えたようだ。


ならば、伊勢に獅子の像があっても良さそうだが、それは無い。


なぜだろう?


多分、「祭神そのもの」が「ユダ族の獅子イエス」であったからかも知れない。

(通常「自分自身の像」は置かない)


また、イスラエルの神殿が手本であるなら、確かに像は無い。


伊勢は、その純粋な姿を守っている形だ。




 ■闇は「疑心暗鬼」を生む


この先、日本は現状を晒す形になるだろう。


しかし、心配する必要はない。


むしろ全てを、御子に委ねると解決する。


例えば日本が戦争に蒔け、「国連の敵国条項」に恥を晒しているという現実がある。


しかしこれも、日本に幸いする。


聖書予言の「恥の国」と一致し、世界もそれを否定出来ないからである。


災い転じて福と成す。


恥から栄光へと、日本は脱皮する。


白石宇井の光を持ってすれば、「狛犬は新参」という話も有利に働くと、私は信じている。


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