第491話「二枚目」羊飼い

「『悪い羊飼い』っているね」

  「エゼキエル書?」

「そう、要約できる?」

  「うん、まるで今の世界」

「教えて!」

  「よし」


・・・

エゼキエル34 章(羊の境遇)

1 主の言葉がわたしに臨んだ、

2 「人の子よ、イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して彼ら牧者に言え、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、自分自身を養うイスラエルの牧者。牧者は群れを養うべき者ではないか。



「イスラエルの牧者」とは、

世界に支配力を広げる中東の国だろうか?


先で考えよう。




 (自分の贅沢に没頭)

3 ところが、あなたがたは脂肪を食べ、毛織物をまとい、肥えたものをほふるが、群れを養わない。

4 あなたがたは弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者をつつまず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねず、彼らを手荒く、きびしく治めている。

5 彼らは牧者がないために散り、野のもろもろの獣のえじきになる。

6 わが羊は散らされている。彼らはもろもろの山と、もろもろの高き丘にさまよい、わが羊は地の全面に散らされているが、これを捜す者もなく、尋ねる者もない。

7 それゆえ、牧者よ、主の言葉を聞け。

8 主なる神は言われる、わたしは生きている。わが羊はかすめられ、わが羊は野のもろもろの獣のえじきとなっているが、その牧者はいない。わが牧者はわが羊を尋ねない。牧者は自身を養うが、わが羊を養わない。

9 それゆえ牧者らよ、主の言葉を聞け。




通常、「牧者」と聞けば、誰もが「牧師」を浮かべるだろう。


すると、


→ カルト宗教?


しかし、神の目は、もっと広大な地域、「世界全土」を見ている。


そこに、「敵」とされる牧者が、複数重なって潜んでいるのだ。




 (羊を虐待者から奪還)

10 主なる神はこう言われる、見よ、わたしは牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手に求め、彼らにわたしの群れを養うことをやめさせ、再び牧者自身を養わせない。またわが羊を彼らの口から救って、彼らの食物にさせない。

11 主なる神はこう言われる、見よ、わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。



→ 羊は、闇の中に散っている




12 牧者がその羊の散り去った時、その羊の群れを捜し出すように、わたしはわが羊を捜し出し、雲と暗やみの日に散った、すべての所からこれを救う。

13 わたしは彼らをもろもろの民の中から導き出し、もろもろの国から集めて、彼らの国に携え入れ、イスラエルの山の上、泉のほとり、また国のうちの人の住むすべての所でこれを養う。

14 わたしは良き牧場で彼らを養う。その牧場はイスラエルの高い山にあり、その所で彼らは良い羊のおりに伏し、イスラエルの山々の上で肥えた牧場で草を食う。




羊を養う「イスラエルの山々」とは各地域に分散する崇拝の拠点を指すのだろう。

(ユダと十部族を纏めた表現)


→ 「意識」が集められる


自分の正体さえ忘れた神の選民が世界に散っている。そこに「牧場」が構築され、目覚めた羊が集う形だろうか。


※ 例えばインディアンは、開拓が始まる遥か以前、ユダの都を離れてアメリカに渡ったユダヤ人の子孫とされている。

(モルモン経から)




 (支配は天の神の直轄)

15 わたしはみずからわが羊を飼い、これを伏させると主なる神は言われる。

16 わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。




※ まず始まるのは、


→ インディアンの歴史回顧

→ 失われた十部族の探査


しかも、神の裁きは、

「羊」と「羊」

「雄羊」と「雄ヤギ」

に及ぶとある。




 (境遇の優劣が酷い)

17 主なる神はこう言われる、あなたがた、わが群れよ、見よ、わたしは羊と羊との間、雄羊と雄やぎとの間をさばく。

18 あなたがたは良き牧場で草を食い、その草の残りを足で踏み、また澄んだ水を飲み、その残りを足で濁すが、これは、あまりのことではないか。

19 わが羊はあなたがたが、足で踏んだものを食い、あなたがたの足で濁したものを、飲まなければならないのか。

20 それゆえ、主なる神はこう彼らに言われる、見よ、わたしは肥えた羊と、やせた羊との間をさばく。

21 あなたがたは、わきと肩とをもって押し、角をもって、すべて弱い者を突き、ついに彼らを外に追い散らした。

22 それゆえ、わたしはわが群れを助けて、再びかすめさせず、羊と羊との間をさばく。



※ 羊には『君主』が必要になる。



 (『ダビデ』が君とされる)

23 わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。

24 主なるわたしは彼らの神となり、わがしもべダビデは彼らのうちにあって君となる。主なるわたしはこれを言う。

25 わたしは彼らと平和の契約を結び、国の内から野獣を追い払う。彼らは心を安んじて荒野に住み、森の中に眠る。

26 わたしは彼らおよびわが山の周囲の所々を祝福し、季節にしたがって雨を降らす。これは祝福の雨となる。

27 野の木は実を結び、地は産物を出す。彼らは心を安んじてその国におり、わたしが彼らのくびきの棒を砕き、彼らを奴隷とした者の手から救い出す時、彼らはわたしが主であることを悟る。




※ 25節で、「国内の野獣を追い払う」とあるが、そこは「一つの国家」が「羊の囲い」になっている国である。

(日本が候補の筆頭)




※ 以下の表記「イスラエル」は文字通りではない。現在のイスラエルは、イエスの牧羊を拒否しているためだ。




 (イスラエルへの気配り)

28 彼らは重ねて、もろもろの国民にかすめられることなく、地の獣も彼らを食うことはない。彼らは心を安んじて住み、彼らを恐れさせる者はない。

29 わたしは彼らのために、良い栽培所を与える。彼らは重ねて、国のききんに滅びることなく重ねて諸国民のはずかしめを受けることはない。

30 彼らはその神、主なるわたしが彼らと共におり、彼らイスラエルの家が、わが民であることを悟ると、主なる神は言われる。

31 あなたがたはわが羊、わが牧場の羊である。わたしはあなたがたの神であると、主なる神は言われる」。



世界の牧者といえば、

「ローマ教皇」?


実は不在。

ヒントは29節。


そこには

「重ねて…

…諸国民の辱めを受けない」

と書かれている。


理由を考えてみよう。



※ 「隠れユダヤ」である日本は、「隠れイスラエル」でもある。(日本は出雲+大和朝廷)その根底には古代のイスラエルが使っていた「ヘブライ語」が隠れている。

(出雲族の言語→ 民謡の中)



「諸国民からの辱め」とはこれだ。


今も残される国連の


→ 「敵国条項」


「日本は世界平和に貢献していく」旧敵国条項の削除、米へ異例の打診:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/sp/articles/ASPDH5SM7PDBUTFK00P.html



明きらかに、イスラエルを建国した表のユダヤ人に当て嵌まらない。


世界で唯一、諸国民から「屈辱の扱い」を受け続けている羊の囲いは、「日本」である。


キリスト教世界を牛耳る「二枚目」羊飼いは、それを見捨てている。


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