第476話 問題発言だろうか?

「心が冷えてた気がするよ」

  「どうかした?」

「今まで気付かずにいた」

  「内容は?」

「ヤコブの話だけど」

  「うん」

「思えばエサウが気の毒で」

  「あれ?」


・・・

何の気なく見過ごしていた話だ。

日本にヤコブ神社が見当たらない。


いや、探していてヒットした記事があったのだが・・・




 ■八雲神社はヤコブ神社か?


こんなブログが見つかった。


八雲神社=ヤコブ神社 | 田舎の床屋のおじさん - 楽天ブログ https://plaza.rakuten.co.jp/inakanotokoya/diary/201106210000/?scid=wi_blg_amp_diary_next



地方の方言で「蜘蛛」を「コブ」と呼ぶそうだ。


すると、「八・雲」は「ヤコブ」と解釈できるそうである。


しかしなぜ、隠すのだろう?

単なる埋没?



例えば、

イエスのあだ名は「石」であり、それを「イシェ」という方言っぽい発音を通せば「伊勢」に繋がる。


そうした事情で、ヤコブが見えないのだろうか。


イエスのあだ名の「石」は、「美しい」(いしゐ)にも繋がるので、こんな話も出来る。


→ 天からのパンは美味しい




 ■「ジャコ」が気になる


選民の祖であるのに、ヤコブは日本で目立たない

・・・

普段から、それを不思議に感じていた。


なぜだろう?


ヤコブが訛って「ジャコ」になっている可能性もある。


こんな言葉がある。


「蛇籠」と書いて「じゃかご」と読むが、「じゃこ」とも読むそうだ。


「蛇籠」とは河川などの工事現場で石を詰め込み護岸工事に使う細長い石を包む籠の名称である。


→ 「石」を包む「籠」

(聖書通ならピンと来るはず)


歌舞伎で同じ名を使う場面があるので、ヤコブは「ジャコ」ではないかと考えるようになっていた。



歌舞伎の出し物中で、無言劇が演じられる。


その名を「だんまり」と言う。



<新かぶき彩時記>「だんまり」の演出 無言の所作 暗闇で妖しく:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/141008



歌舞伎用語案内 https://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/3326/



演じているのは、「手探り」の場面である。


闇夜の真っ暗の中、複数の登場人物は互いの存在が見えないかのような所作を繰り返す。


中でも「蛇籠」の場面は、数人がそれぞれ前の人の腰のあたりに右手を当て、「引き止める」かのような形で一列に並ぶ演技であるらしい。


蛇籠→ 闇の中で引き止める


大きなヒントだ。


聖書のヤコブが、夜の相撲相手の霊者から腰に打撃を受け、それでも相手を引き止めて祝福を約束させた事・・・


それが頭に浮かんで来る。


確かに彼は、「抜け目がない」と評価出来る人物像である。


長子の権を兄のエサウから煮豆で買い取ったのもそうした資質があればこその話だ。


イエスが弟子たちに多くの知恵を授けた中に、必ずヤコブへの評価があっただろう。


実際、我々が友人と付き合っている中に、ころんでもただ起きないヤコブのような人物が居たとすれば、どう思うだろう。


長子の権を失ったエサウの気持ちに成り切って考えると、それは確かに腹立たしい弟であったと思う。


煮豆で権利を売ってしまうのも愚かだが、普通の関係であれば、兄に対してそんな仕掛けで嵌めるだろうか?


むしろ、こう言うはずだ。


「長子の権を売るなんて、冗談でも言わない方がいいよ」


「煮豆ごときで」


「折角受けた権利でしょ?」


「煮豆は遠慮なく食べていいからね」


・・・


考えて見れば、日本に「ヤコブの神社」が無い方がむしろ自然に思えたりするのだが・・・


どうだろう?


問題発言だろうか?


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