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2022年11月26日 14:46
ヒロソ様。『25 わたしはまた、わが手をあなたに向け、あなたのかすを灰汁で溶かすように溶かし去り、あなたの混ざり物をすべて取り除く。26 こうして、あなたのさばきびとをもとのとおりに…』とありますが、その「混ざり物」についてです。以下の動画で藤原直哉さんの悪の「ご本尊様が出現した」というお話が出てきます。それとマドモアゼル愛さんの「形」のお話から、早くも本命「太陽悪魔ソラトの出現」が起きている事に気づきました。お二人には感謝してもしきれません。https://youtu.be/-3vWFP_39fc恐縮ですが、上記の動画は有料ですので内容は軽軽にコメント欄に書き込めません。私の意見だけを書き込む事をお許し下さい。結論から言えば「太陽悪魔」は古くから人身御供を欲していましたが、その理由が理解できました。それは、自分では人を創造できないので神の手から人を奪い、自分の都合の良いように改造しようとしていたという事です。「太陽悪魔」には「人の形態」は創れなかったのです。それで、正神の「形態霊ヤハウェー」の想像した「人」を自分の領域に引き込んだようです。それが、聖書の人の創造で男女に別れ、物質界へと落ちたように感じます。そして今、「太陽悪魔」が憑依するに足る数が揃ったようです。「太陽悪魔」の出現です。旧約聖書はヴァールの書と言われる事がありますが、創世記の人の創造については、激しく同意します。私見ですが日本人で聖書を信じる人に「干からびる」という肉体的な特徴が現れます。「干からびる」理由は「知的思考」を持つと言う事です。旧約聖書では人の転落は知恵の木の実を食べたせいであるとしながらも、その「知的思考」の土台を聖書が作っているように感じます。ギリシャ哲学が知性の始まりのように言われています。しかし、この知性は霊と繋がっていました。シュタイナー翻訳家の高橋巌氏が「プラトン(ソクラテス)哲学はディオニス哲学であり、狂気の哲学だ。知性は狂気にいたり、狂気によらなければ真理に至らない」という主旨の事を語っていました。(上記の動画はこの「狂気」にも触れていました。)しかし、「エゴ」つまり「太陽悪魔の形」に嵌まったまま「狂気」に至ると真理どころか、破滅が待ち受けているようです。その「形」を作るものは「虚栄心・高慢つまり阿修羅」であるようです。ディオニスの祭典では女性達が躍り狂うのですが、高慢な者は発狂すると言われています。正神の創った「形」は柔軟で「変容能力」を持つと言います。「太陽悪魔の創る干からびた形」では、真理には持ちこたえられないと推測できます。また、「変容能力」の誤用が「嘘」であると言います。「嘘」まみれの世界は真理に耐えられない「太陽悪魔の創る干からびた形=エゴ」の所産であるようです。裏を返せば「太陽悪魔」を破滅させるのは「真理」であり「真実」だと言う事です。上記に「混ざりものをすべて取り除く」とあります。結果の世界では恐ろしい天使が働くにしても、私達は原因の世界(心)で「混ざり物を取り除く」必要があると思います。「混ざり物の無い世界」へは「混ざり物の無い心」しか行けないように思います。世界が「混ざりものの無い世界」へと変容する時に、「混ざり物」を抱えて行くと「太陽悪魔」の破滅を待たずに、発狂するのではないでしょうか?藤原直哉さんはそれを危惧されているように感じます。
ヒロソ様。
『25 わたしはまた、わが手をあなたに向け、あなたのかすを灰汁で溶かすように溶かし去り、あなたの混ざり物をすべて取り除く。26 こうして、あなたのさばきびとをもとのとおりに…』とありますが、その「混ざり物」についてです。
以下の動画で藤原直哉さんの悪の「ご本尊様が出現した」というお話が出てきます。それとマドモアゼル愛さんの「形」のお話から、早くも本命「太陽悪魔ソラトの出現」が起きている事に気づきました。お二人には感謝してもしきれません。
https://youtu.be/-3vWFP_39fc
恐縮ですが、上記の動画は有料ですので内容は軽軽にコメント欄に書き込めません。私の意見だけを書き込む事をお許し下さい。
結論から言えば「太陽悪魔」は古くから人身御供を欲していましたが、その理由が理解できました。それは、自分では人を創造できないので神の手から人を奪い、自分の都合の良いように改造しようとしていたという事です。
「太陽悪魔」には「人の形態」は創れなかったのです。それで、正神の「形態霊ヤハウェー」の想像した「人」を自分の領域に引き込んだようです。それが、聖書の人の創造で男女に別れ、物質界へと落ちたように感じます。
そして今、「太陽悪魔」が憑依するに足る数が揃ったようです。「太陽悪魔」の出現です。
旧約聖書はヴァールの書と言われる事がありますが、創世記の人の創造については、激しく同意します。私見ですが日本人で聖書を信じる人に「干からびる」という肉体的な特徴が現れます。「干からびる」理由は「知的思考」を持つと言う事です。
旧約聖書では人の転落は知恵の木の実を食べたせいであるとしながらも、その「知的思考」の土台を聖書が作っているように感じます。
ギリシャ哲学が知性の始まりのように言われています。しかし、この知性は霊と繋がっていました。シュタイナー翻訳家の高橋巌氏が「プラトン(ソクラテス)哲学はディオニス哲学であり、狂気の哲学だ。知性は狂気にいたり、狂気によらなければ真理に至らない」という主旨の事を語っていました。
(上記の動画はこの「狂気」にも触れていました。)しかし、「エゴ」つまり「太陽悪魔の形」に嵌まったまま「狂気」に至ると真理どころか、破滅が待ち受けているようです。その「形」を作るものは「虚栄心・高慢つまり阿修羅」であるようです。ディオニスの祭典では女性達が躍り狂うのですが、高慢な者は発狂すると言われています。
正神の創った「形」は柔軟で「変容能力」を持つと言います。「太陽悪魔の創る干からびた形」では、真理には持ちこたえられないと推測できます。また、「変容能力」の誤用が「嘘」であると言います。「嘘」まみれの世界は真理に耐えられない「太陽悪魔の創る干からびた形=エゴ」の所産であるようです。裏を返せば「太陽悪魔」を破滅させるのは「真理」であり「真実」だと言う事です。
上記に「混ざりものをすべて取り除く」とあります。結果の世界では恐ろしい天使が働くにしても、私達は原因の世界(心)で「混ざり物を取り除く」必要があると思います。「混ざり物の無い世界」へは「混ざり物の無い心」しか行けないように思います。世界が「混ざりものの無い世界」へと変容する時に、「混ざり物」を抱えて行くと「太陽悪魔」の破滅を待たずに、発狂するのではないでしょうか?藤原直哉さんはそれを危惧されているように感じます。