第435話 『柵』(しがらみ)を越える
「素直じゃないと駄目かな」
「何か悩み?」
「福音書に『子供の心』とあるね」
「あー、あれ」
「どうしても柵が入る」
「問題は結果だな」
「王国に入れない?」
・・・
それは、この記述。
マタイ18章3-5節
…言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
傲慢であっては、いけない。
王国に行けない。
ならば、素直に「御子」を受け入れよう。
ただ、表面だけで終わらないのが聖書。
イエスの言葉には深い意味が隠されている。
(世の神の介入を掻い潜るため)
ここでイエスは、告げている。
→ 「わたしの名」のために
含みのある言葉だ。
イエスの名は今、「イエス」ではない。
終わりの日の再臨では、
→ シロ
子供の耳には「白」と聞こえるだろう。
つまり、「白」を受け入れるとなれば、「黒」を同時に受け入れが出来ない。
それは、
→ グレーゾーン
世の柵(しがらみ)を取っ払うしかない。
【柵】しがらみ
1.水流を塞き止めるために杭を打ち並べ、竹や木を渡したもの。
2.柵(さく)、塞き止める何か。
柵(さく)は策(さく)に通じており、世の神は策略を常とする卑怯な存在。
(それこそが「柵略」)
それで「しがらみ」は、世の空気による自由な思考が塞き止められるのを計算に入れて施された(御子の敵からの)策のようなものである。
鬼と戦う我々が、この「策」に思考阻止されていては、まともな戦いは出来ない。
イエスは、こうした状況を見越して、「子供のように」と教えたのだ。
世に遠慮し、空気を読んで論点を跨ぐのは、世の神の思い通りにされる…という意味である。
イエスは密かに、それを教えていたのだった。
勿論、社交辞令を無視するという意味ではない。
しかし、考察の中で「柵」に阻止されていては正しい判断が出来ないのだ。
■白を受け入れるなら黒は?
海外では、白い帽子と黒い帽子の戦いが起きているようだ。
※ 考察すべし。
白い鳥と黒い鳥がいる。
子供なら、どちらを選ぶのか?
「シロ」に従いたいなら、当然、白い鳥だろう。
イエスの洗礼では、聖霊が「白い鳩」のように下った。
「シロ」を受け入れたい子供は、決して「クロい鳥」を選ばない。
そしてそれが、「王国への道」だと知っている。
柵(しがらみ)を越えよう。
思考回路を、子供のように自由にしよう。
彼がもし盲目であれば、選べないから手を引いてあげよう。
子供になった我々なら、柵を超える手引が出来るのだ。
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