第430話 冕冠(べんかん)はモーセから
「昔の王は、なぜ『スダレ』をするの?」
「あー、これは冕冠」
「でも、見えないし不便でしょ」
「それでも、東洋ではやるね」
「由来は?」
「不明らしい」
「へーっ!」
・・・
これほどの習慣を、誰がいつ、何のために始めたかが不明。
考えられない。
早速、聖書から調べた。
これらしい。
→ モーセの始めた習慣
推理の根拠を説明しよう。
モーセは二度目の神に呼ばれ、
再びホレブの山に登った。
そこで「後の神」と契約する。
出エジプト記34章
27 また主はモーセに言われた、「これらの言葉を書きしるしなさい。わたしはこれらの言葉に基いて、あなたおよびイスラエルと契約を結んだからである」。
28 モーセは主と共に、四十日四十夜、そこにいたが、パンも食べず、水も飲まなかった。そして彼は契約の言葉、十戒を板の上に書いた。
29 モーセはそのあかしの板二枚を手にして、シナイ山から下ったが、その山を下ったとき、モーセは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。
30 アロンとイスラエルの人々とがみな、モーセを見ると、彼の顔の皮が光を放っていたので、彼らは恐れてこれに近づかなかった。
31 モーセは彼らを呼んだ。アロンと会衆のかしらたちとがみな、モーセのもとに帰ってきたので、モーセは彼らと語った。
32 その後、イスラエルの人々がみな近よったので、モーセは主がシナイ山で彼に語られたことを、ことごとく彼らにさとした。
33 モーセは彼らと語り終えた時、顔おおいを顔に当てた。
34 しかしモーセは主の前に行って主と語る時は、出るまで顔おおいを取り除いていた。そして出て来ると、その命じられた事をイスラエルの人々に告げた。
35 イスラエルの人々はモーセの顔を見ると、モーセの顔の皮が光を放っていた。モーセは行って主と語るまで、また顔おおいを顔に当てた。
我々が「恐れ多い」という表現を使う理由は、
→ 本当に「恐れ」があったから
結局モーセは、「顔おおい」をするしかなかった。
形状が「簾」(すだれ)であったかどうかは知らないが、冕冠の形状が一番無難だろう。
もちろん、日本の支配者にも痕跡がある。
こうした「顔隠し」をしているのは、西洋で見た事がない。
暑苦しいし、目の前が見渡せない簾を、なぜわざわざ吊るして顔隠しをするのか・・・
答えは「モーセの光る顔」に行き着くのである。
実際、人々が「本当に恐れた」から仕方がない。
十部族もユダ族も、この習慣を踏襲していたようである。
他民族なら、こんな面倒な真似は思い付かないだろう。
(勿論、現代イスラエルも)
しかし、モーセ以後の王たちやソロモンの時代には、こうした風習が記されていない。
どうしてなのか?
簾が→ 廃(すた)れた?
となれば、なぜ歴史に再登場したかである。
おそらく、
→ 記録の再発見?
ヨシア王の、こんな前例がある。
歴代誌下34章 (古文書発見)
8 ヨシヤはその治世の十八年に、国と宮とを清めた時、その神、主の宮を繕わせようと、アザリヤの子シャパン、町のつかさマアセヤおよびヨアハズの子史官ヨアをつかわした。
修復工事の始まりだ。
9 彼らは大祭司ヒルキヤのもとへ行って、神の宮にはいった金を渡した。これは門を守るレビびとがマナセ、エフライムおよびその他のすべてのイスラエル、ならびにユダとベニヤミンのすべての人、およびエルサレムの住民の手から集めたものである。
10 彼らはこれを主の宮を監督する職工らの手に渡したので、主の宮で働く職工らは、これを宮を繕い直すために支払った。
11 すなわち、大工および建築者にこれを渡して、ユダの王たちが破った建物のために、切り石および骨組の材木を買わせ、梁材を整えさせた。
12 その人々は忠実に仕事をした。その監督者はメラリの子孫であるレビびとヤハテとオバデヤ、およびコハテびとの子孫であるゼカリヤとメシュラムであって、工事をつかさどった。また楽器に巧みなレビびとがこれに伴った。
13 彼らはまた荷を負う者を監督し、様々の仕事に働くすべての者をつかさどった。また他のレビびとは書記となり、役人となり、また門衛となった。
ここで、「発見」がある。
14 さて彼らが主の宮にはいった金を取りだした時、祭司ヒルキヤはモーセの伝えた主の律法の書を発見した。
15 そこでヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を発見しました」と。そしてヒルキヤはその書をシャパンに渡した。
王に届けなければ。
16 シャパンはその書を王のもとに持って行き、さらに王に復命して言った、「しもべらはゆだねられた事をことごとくなし、
17 主の宮にあった金をあけて、監督者の手および職工の手に渡しました」。
18 書記官シャパンはまた王に告げて、「祭司ヒルキヤはわたしに一つの書物を渡しました」と言い、シャパンはそれを王の前で読んだ。
王のショック!
19 王はその律法の言葉を聞いて衣を裂いた。
20 そして王はヒルキヤおよびシャパンの子アヒカムとミカの子アブドンと書記官シャパンと王の家来アサヤとに命じて言った、
21 「あなたがたは行って、この発見された書物の言葉についてわたしのために、またイスラエルとユダの残りの者のために主に問いなさい。われわれの先祖たちが主の言葉を守らず、すべてこの書物にしるされていることを行わなかったので、主はわれわれに大いなる怒りを注がれるからです」。
霊能者にそれを告げると
22 そこでヒルキヤおよび王のつかわした人々は、シャルムの妻である女預言者ホルダのもとへ行った。シャルムはハスラの子であるトクハテの子で、衣装を守る者である。時にホルダは、エルサレムの第二区に住んでいた。彼らはホルダにその趣意を語ったので、
23 ホルダは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられます、『あなたがたをわたしにつかわした人に告げなさい。
24 主はこう仰せられます。見よ、わたしはユダの王の前で読んだ書物にしるされているもろもろののろい、すなわち災をこの所と、ここに住む者に下す。
25 彼らはわたしを捨てて、他の神々に香をたき、自分の手で造ったもろもろの物をもって、わたしの怒りを引き起そうとしたからである。それゆえ、わたしの怒りは、この所に注がれて消えない。
泣いた者は救われる?
26 しかしあなたがたをつかわして、主に問わせるユダの王にはこう言いなさい。イスラエルの神、主はこう仰せられる。あなたが聞いた言葉については、
27 この所と、ここに住む者を責める神の言葉を、あなたが聞いた時、心に悔い、神の前に身をひくくし、わたしの前にへりくだり、衣を裂いて、わたしの前に泣いたので、わたしもまた、あなたに聞いた、と主は言われる。
28 見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは安らかにあなたの墓に集められる。あなたはわたしがこの所と、ここに住む者に下すもろもろの災を目に見ることがない』と」。彼らは王に復命した。
神の意図に従おう。
29 そこで王は人をつかわしてユダとエルサレムの長老をことごとく集め、
30 そして王は主の宮に上って行った。ユダのすべての人々、エルサレムの住民、祭司、レビびと、およびすべての民は、老いた者も若い者もことごとく彼に従った。そこで王は主の宮で発見した契約の書の言葉を、ことごとく彼らの耳に読み聞かせ、
31 そして王は自分の所に立って、主の前に契約を立て、主に従って歩み、心をつくし、精神をつくして、その戒めと、あかしと定めとをまもり、この書にしるされた契約の言葉を行おうと言い、
32 エルサレムおよびベニヤミンの人々を皆これに加わらせた。エルサレムの住民は先祖の神であるその神の契約にしたがって行った。
33 ヨシヤはイスラエルの人々に属するすべての地から、憎むべきものをことごとく取り除き、イスラエルにいるすべての人をその神、主に仕えさせた。ヨシヤが世にある日の間は、彼らは先祖の神、主に従って離れなかった。
→ 復古したのだった
「日本人は王の名を使ってるね」
「まさか」
「『よっしゃ』とか言うでしょ」
「えーっ?」
「ヨシヤ」が「よっしゃ!」と変じた?
確かに合致するのだ。
妙に。
しかし、辞書の説明にはこれしか見当たらなかった。
【よし】
1.決意を表す語。
2.同意・承諾を表す語。
3.慰めの語。
4.命令を強める。
「よし、行け!」
「よし!わかった!」
「よし!やろう!」
ヨシヤの心境に重なるが・・・どうだろう?
こんなのもある。
「あの野郎!」
以前書いたので、覚えているだろう。
彼は、北のイスラエル王国に「金の子牛」崇拝の神殿を建て、民衆を堕落に導いた「背教の王」である。
→ ヤロブアム
こうした「特徴的」王の名は民間の口伝えに残される。
王は、多大な影響を民に及ぼすからだ。
■ああしろ、こうしろ
最も影響を及ぼす存在は、
→ 母なる神
あらゆる場面で、選民に味方してくれている。
その名は
→ シロ
ヤコブの予言で有名な名であるため、選民なら知らない人はいなかったと考えられる。
イエスが去ってから後は、
名が「シロ」に転じている。
ならば、語彙の中にあるのだろうか?
こんな言葉がある。
【支路】しろ
枝道、分かれ道。
人生の分岐点で迷う時、考え抜かれた道を歩きたい。
正しい→ 思路へ
しかし、鬼がそれを邪魔する事がある。
【思路傷害】
-考えが混乱してくる
物事を順序立てて考える事が難しく、話がまとまらず、混乱し、会話にならない場合もある。
資料:
https://www.pref.kyoto.jp/health/health/health03_b.html
「統合失調症」という病名が付いているが、多分
→ 鬼による思考の流し込み
…ならば、まず「鬼を祓う」必要がある。
「シロ」の力を借りて…
言葉に発するなら、
「こうしろ」
「ああしろ」
「鬼に対抗しろ」
つまり、「支路」へのアドバイスを「神の子」(シロ)から受けるようなものである。
「岩ノ上」に立場を定めたモーセも、そうした導きを受ける人物になった。
そして彼の顔は輝きを放った。
人々が恐れ多く反応したから、モーセは冕冠のようなもので顔を覆った。
「冕冠はモーセから」と告げたのはそうした考察の結果なのである。
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