第408話 罠となる学者脳

「鬼に騙された人がいてね」

  「うん」

「いつも祈りに没頭してる」

  「それが鬼の手段よ」

「なぜ?」

  「視野を狭くする」

「あー」


・・・

「この呪文を百万回唱えろ!」

とか

「規則通り動いてないだろ!」

とか

「なぜ切り分け出来ないのか!」

・・・

といった言葉が、

人の「視野」を狭くする。


イエスが敵としていたサンヘドリンの厳格主義で縛られると、狭い視野で一生終わる。



イエスの精神は「日の丸」のようで、


→ 四角い部屋を丸く掃く


それは「曖昧への理解」。


これが出来ないと聖書解釈で躓いてしまうだろう。


「一言一句間違ったら許せない」と身構えていると、視野が狭まり罠に落ちてしまうのだ。


実際、聖書翻訳は曖昧なところが多く、イエスを「人間」と捉えたり、「神」と捉えたりである・・・


すると


「この翻訳は『人間』としてる」

「こちらは『神』と読めるぞ」


「どっちなんだ?」

・・・


これは学者肌にありがちな

「:」(コロン)主義。


→ 学者脳 (分類の人)


確かにデジタルの世界では、「1」と「0」の共有が不可能。


しかし、「量子コンピューター」なら、それが出来る。


人もそうした思考が出来ないと、罠に落ち込んでしまうのだ。


→ 結論に千年掛る


「重箱の隅を突くな」という先人の教えもそれを教えている。




 ■聖書は「曖昧脳」で読む


イエスが人類に期待しているのは、日本人が持っている感性だ。


「イエスでもありノーでもある」


これを理解出来る心になって、じっくり考えるなら、聖書から多くが読み取れる。


最初に切り分けてから飲み込もうとすると、サタンの密室に閉じ込められてしまうだろう。


結論に千年費やす。


ただ、曖昧脳を持つ人は、口から出る言葉もいい加減なので、いろいろな場面で誤解されてしまうかも知れない。


→ 人も自分と同じだろう


私自身もそんな傾向があるため、人と対話するのは苦手である。


しかし、聖書に込めた御子の気持ちは不思議と理解出来るのだ。



御子は聖書の主権が世の神に移ることを知っていたので、曖昧のフィルターで教えを保護している。


だから聖書は難解で、「学者脳に対する罠」となったのだ。


これを知って、御言葉を丸く捉えよう。


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