第401話 イエスの言葉はアラム語か

「イエスはアラム語を話したの」

  「なんで?」

「学会の定説らしい」

  「根拠は?」

「時々アラム語が出て来る」

  「あらら」


・・・

(Wikipedia引用)

もともとギリシャ語で編纂された新約聖書には、イエスが語った言葉としていくつかのアラム語が直接使われている。



例1:

(イエスは)「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う、起きなさい」という意味である。(マルコ5章41節)



例2:

そして、(イエスは)天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは「開け」という意味である。

(マルコ7章34節)



状況を、我々の日常に当て嵌めてみよう。


「地方出身者」は普段、方言で話しているが、都会に出たら標準語を話す。


故郷に戻れば、また方言。


→ 使い分け


しかし、都会でも思わず方言が出る場合もあるだろう。


思わず・・・



イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

(マタイ27章46節)



意図的に、方言を使った可能性はどうだろう。




 ■方言で逆念阻止


イエスは故郷で奇跡を起こせなかった。


それは、身内や知り合いがイエスに対して強い「逆念」を発していたからだ。


「あれは普通の子供だった」


これが原因で、上から降る聖霊のチャンネルがズレてしまい、神の子が「普通の人」に戻ってしまう。


イエスが奇跡を起こす時、相手に「信じますか?」と訪ねていた場面を思い出そう。


それは、「逆念で邪魔をする人かどうか」を確認しているという理解だ。


イエスに手を引かれ、水の上を歩いたペテロが、自分の逆念に負けた瞬間、沈んでしまった場面もあった。


これをイエスは「恐れに負けた」と表現している。


さて、

イエスが時々アラム語で話している部分を、私はこう分析した。


→ 相手の逆念をかわす


周囲にいる人々の信仰が薄い場合、治癒の言葉を聞いた瞬間


→ 逆念発生


奇跡的治癒が邪魔されてしまう。


「そんな事起きるはずがない」



これは、「ペテロの恐れ」に相当するほど強烈な失墜をもたらしてしまう。


そこでイエスは、周囲に意味を知られない外国語(アラム語)のスイッチを入れたのだ・・・そう思った。


普段はやはり、標準語であった「コイネー」が会話手段であっただろうと考えている。




資料:コイネー

https://togetter.com/li/1424498


古代ギリシア語は3段階の変化を遂げ,その中に古典ギリシア語とコイネー・ギリシア語が含まれる。


コイネーは1世紀におけるキリスト教の布教と聖書執筆にも用いられ,ヘレニズム諸国において広域の共通語の役目を果たした。


コイネー・ギリシア語はのちにビザンツ時代の中世ギリシア語へと引き継がれ,これが現代ギリシャ語の基となった。


(引用感謝)



我々自身にも、自分で自分に「逆念」を発している場合がある。


「私には無理だろう」

「これは限界を超えている」


この「恐れ」が、「深層心理」の部分で影響を与えており、何をやってもうまく行かない波動に同調してしまうわけだ。


鬼がそれを見逃すはずがない。


鬼を引き寄せる波動を発しているとしたら、それを早急にずらす必要がある。


更に、鬼の配下が社会に「恐れの波動」を広げる仕掛けをバラ撒いているため、そうした集団の影響を受けると向上できなくなってしまう。


いわゆる「空気」である。


アラム語の話からズレてしまったが、言葉と波動の関係を更に研究して行きたい。

そう思っている。


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