第324話 線路工事はさせない
「また線路工事!」
「何があった?」
「鬼が雑念を入れて来た」
「どんな?」
「未来への不安」
「散らそうとしてるな」
「しつこい奴らだよ」
・・・
「散らす者」
それが鬼だ。
鬼との接触で、心も冷える。
纏めようとしていたあらゆる努力を散らし、温めていた構想に冷水を掛け、結束していた仲間まで散らそうとする。
温かい人なら、「私は良心に従って生きる」という決意を持っているだろう。
良心を育てる社会は規則が少なく、細かな点は個人の判断に任せているはずだ。
例えば、落とし物を道で発見し、誰も見ていないがそれを交番に届ける人の良心は、しっかり働いている。
しかし、良心には目を向けず、規則で物事を解決しようとする社会では、監視カメラが乱立するだろう。
■倶生神は監視カメラか
人の生まれた時から、肩に乗って、一生を見張るとされるインド発の神・・・
それが「倶生神」である。
「地獄の閻魔に報告するぞ」
確かにこの教えは、規則重視、良心軽視の監視社会に繋がっている。
鬼のように人を監視する社会では、人の良心は評価されず、全てが「規則通りに動いたか」で判断される。
サタンの持つそうした特質は、神の御子が嫌っていたサンヘドリンと合致している。
監視社会は、警察万能の国家となり、彼らの仕事も増加する。
温情と良心が冷え切ってしまう「倶生神」の教えが、どこから出ているかは理解出来るだろう。
鬼は倶生神のように目に見えず、気配も消しているから隠しカメラのようなものである。
監視だけならまだしも、鬼は人の未来を捻じ曲げるため、あらゆる雑念を流し込んで来る。
好きなようにさせていると、妙な考えを流し込まれ、勝手な線路を敷かれて間違った未来へと誘導されるだろう。
ユダイスカリオテのような悪人も、こうして作られて来た。
良心を弱らせておいて、処罰まで担当しているのだから、悪魔のサンヘドリンを御子が嫌っても当然なのだ。
我々は、周囲に屯する鬼など追い払い、心の中の灯し火を消されないよう、常にイエスの言葉を思い出そう。
決意しよう。
勝手な「線路工事はさせない」と。
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