第321話 拝観は「配管」

「崇拝はエンを作るの?」

  「どのエンかな?」

「御縁がありますようにとか言う」  

  「あー、そりゃ作るでしょ」

「なら、拝観は配管工事だね」

  「えっ?」

「神様との」


・・・

一度繋げば、そこから「水」が流れて来るのだろうか?


ローマにもあった「名前を知らない神」という拝観所はどうだろう?


日本人は、石でも木でも、何でも拝んでしまうというから、記憶にも無い配管工事が終わっているかも知れない。


「正体を知らない相手」を拝むのは、「不気味なご縁」が出来てしまうのだが、割と気楽に考えている人が多い。


「悪い事はしないだろう」

「神様だから」


しかし、聖書を知ると、そうも言ってられない。


「あなたの一人息子を捧げよ」


アブラハムに語ったこの神は、なぜそのような過酷な犠牲を強いたのだろうか?


「ウルの地」で、アブラハム(アブラム)は、妙な神を拝んだりしなかったのか?


姿が見えない相手を拝んだ場合、「御縁の配管」が生じて後日も影響を受けるのだ。


ヤコブの相撲相手を思い出そう。


相手は決して名乗らず、正体不明のままだったがヤコブは祝福のパイプを構築した。


これは、後の選民に影響を及ぼしたと思われる。


そんな私も過去、かなりの社を拝んだかも知れないが、


流れ込む雑念は、過去の配管工事から来ているとすれば・・・




 ■本物のパイプを構築しよう


今、「白い帽子」の組織が活躍し、日本の浄化を行っているという。


しかし、かなり手こずる状態なのだそうだ。


それは地下に張り巡らされたカルトのパイプが太いからだろうか。


我々個人としては、鬼(得体の知れない相手)との御縁など欲しくない。


しかし、雑多な配管を見分けるというのは至難の業。


結局最後は、流れ込む水を遮断するため、「真の神の名」という防御策が必要になる。


また、真の太陽である御子の光を求めれば、観察眼のピントがボケる心配も無い。




 ■仰天の朝が来る前に


光は徐々に増しており、民衆が仰天する朝が来ようとしている。


闇の勢力は、何とか勢力を保とうとしているが、全容が明るみに出るのは時間の問題。


準備は、今しか出来ない。


子羊の結婚に着て行く服を、準備しなければ。


それが配管の水で湿っていないかどうかを、確かめておこう。


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