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2022年9月7日 23:36
ヒロソ様。現在の部落はブランクがありすぎたのか、神に以前とは違う使われ方をしているようです。部落の存在は神業のようです。罪を犯した貴人や神人が主な構成要員です。外からは手の施しようがありません。「伊の神」。神の名は変えられているようです。君が代の「イはオとなりて」と言うわけで「アオウエイ」を倍音で発音すると「ヰーウェー」となりますが、これで良いのでしょうか?彼(極み)の過去動画です。https://youtu.be/BKffhKq9CN4
作者からの返信
資料、有難うございます。確かに部落の扱いは奇妙です。死体を処理させるなど、穢れたものを投げ込む方針があったようですが、李氏朝鮮でも不潔の民として記録されていたかに思います。推理ですが、私は民からの援助が途絶えたレビは、「どうしていいか解らない状態」に落ちただろうと考えてみるのです。自分たちでは何も生産せず、物資を購入する金銭も無いのですから。それでいて気位だけは高く、雇われの身分になろうともしません。太陽のイエスが去ってしまった夜は、「星の神のお気に入り」が優遇され贅沢も出来ますが、一般民から離れてしまった神事の専門職は惨めでしょう・・・おそらく、長期の模索を続けながら生活力を得たのではないかと思うのです。(あくまで私見ですが)追伸:聖書の記述に「避難都市」というのが有ります。過失の罪を犯した選民が、その都市に逃げ込み「復讐者」から保護されました。(駆け込み寺に似ています)このあたりも掘れば、更に進展するかも知れません。もう一つ、神の名の変化について・・・「イ」は「オ」となりて・・・の観察は鋭く、考えさせられました。ご指摘のように「イ」は「ヰ」(うぃ)に重なり、先人は意識していたようです。これについては、「結果オーライではないか?」という考察があります。(最後に辻褄が合う)巌は「イハホ」という古語の発音ですが「ホ」は「穂」を意味し、「突き出た岩」との話です。「さざれ石」は小さな石・・・勿論「イエスの意志」でしょう。神は人類を子供のように観ています。福音書のイエスが弟子の前に子供を立たせ「この子のようにならなければ…」と教えたのは結局、現代の我々が心すべき態度なのでしょう。「君が代はイエスの歌だ」と無邪気に考えてみました。するとそれは、「未来の描写を含んでおり、終わりの世を抜け出た人々に当て嵌まるのではないか」と思えて来るのです。
ヒロソ様。
現在の部落はブランクがありすぎたのか、神に以前とは違う使われ方をしているようです。部落の存在は神業のようです。罪を犯した貴人や神人が主な構成要員です。外からは手の施しようがありません。
「伊の神」。神の名は変えられているようです。君が代の「イはオとなりて」と言うわけで「アオウエイ」を倍音で発音すると「ヰーウェー」となりますが、これで良いのでしょうか?
彼(極み)の過去動画です。
https://youtu.be/BKffhKq9CN4
作者からの返信
資料、有難うございます。
確かに部落の扱いは奇妙です。
死体を処理させるなど、穢れたものを投げ込む方針があったようですが、李氏朝鮮でも不潔の民として記録されていたかに思います。
推理ですが、私は民からの援助が途絶えたレビは、「どうしていいか解らない状態」に落ちただろうと考えてみるのです。
自分たちでは何も生産せず、物資を購入する金銭も無いのですから。
それでいて気位だけは高く、雇われの身分になろうともしません。
太陽のイエスが去ってしまった夜は、「星の神のお気に入り」が優遇され贅沢も出来ますが、一般民から離れてしまった神事の専門職は惨めでしょう・・・
おそらく、長期の模索を続けながら生活力を得たのではないかと思うのです。
(あくまで私見ですが)
追伸:
聖書の記述に「避難都市」というのが有ります。
過失の罪を犯した選民が、その都市に逃げ込み「復讐者」から保護されました。
(駆け込み寺に似ています)
このあたりも掘れば、更に進展するかも知れません。
もう一つ、神の名の変化について・・・「イ」は「オ」となりて・・・の観察は鋭く、考えさせられました。
ご指摘のように「イ」は「ヰ」(うぃ)に重なり、先人は意識していたようです。
これについては、「結果オーライではないか?」という考察があります。
(最後に辻褄が合う)
巌は「イハホ」という古語の発音ですが「ホ」は「穂」を意味し、「突き出た岩」との話です。
「さざれ石」は小さな石・・・勿論「イエスの意志」でしょう。
神は人類を子供のように観ています。福音書のイエスが弟子の前に子供を立たせ「この子のようにならなければ…」と教えたのは結局、現代の我々が心すべき態度なのでしょう。
「君が代はイエスの歌だ」と無邪気に考えてみました。
するとそれは、「未来の描写を含んでおり、終わりの世を抜け出た人々に当て嵌まるのではないか」と思えて来るのです。