応援コメント

第276話 「部落とは?」カミの裏表」への応援コメント

  • ヒロソ様。

    現在の部落はブランクがありすぎたのか、神に以前とは違う使われ方をしているようです。部落の存在は神業のようです。罪を犯した貴人や神人が主な構成要員です。外からは手の施しようがありません。

    「伊の神」。神の名は変えられているようです。君が代の「イはオとなりて」と言うわけで「アオウエイ」を倍音で発音すると「ヰーウェー」となりますが、これで良いのでしょうか?

    彼(極み)の過去動画です。

    https://youtu.be/BKffhKq9CN4


    作者からの返信

    資料、有難うございます。
    確かに部落の扱いは奇妙です。

    死体を処理させるなど、穢れたものを投げ込む方針があったようですが、李氏朝鮮でも不潔の民として記録されていたかに思います。

    推理ですが、私は民からの援助が途絶えたレビは、「どうしていいか解らない状態」に落ちただろうと考えてみるのです。

    自分たちでは何も生産せず、物資を購入する金銭も無いのですから。

    それでいて気位だけは高く、雇われの身分になろうともしません。

    太陽のイエスが去ってしまった夜は、「星の神のお気に入り」が優遇され贅沢も出来ますが、一般民から離れてしまった神事の専門職は惨めでしょう・・・

    おそらく、長期の模索を続けながら生活力を得たのではないかと思うのです。
    (あくまで私見ですが)

    追伸:

    聖書の記述に「避難都市」というのが有ります。

    過失の罪を犯した選民が、その都市に逃げ込み「復讐者」から保護されました。
    (駆け込み寺に似ています)

    このあたりも掘れば、更に進展するかも知れません。



    もう一つ、神の名の変化について・・・「イ」は「オ」となりて・・・の観察は鋭く、考えさせられました。

    ご指摘のように「イ」は「ヰ」(うぃ)に重なり、先人は意識していたようです。


    これについては、「結果オーライではないか?」という考察があります。

    (最後に辻褄が合う)

    巌は「イハホ」という古語の発音ですが「ホ」は「穂」を意味し、「突き出た岩」との話です。

    「さざれ石」は小さな石・・・勿論「イエスの意志」でしょう。

    神は人類を子供のように観ています。福音書のイエスが弟子の前に子供を立たせ「この子のようにならなければ…」と教えたのは結局、現代の我々が心すべき態度なのでしょう。

    「君が代はイエスの歌だ」と無邪気に考えてみました。

    するとそれは、「未来の描写を含んでおり、終わりの世を抜け出た人々に当て嵌まるのではないか」と思えて来るのです。

    編集済