第271話 「白石理論」が波風を収める
「白石理論を知ってる?」
「なに?それ」
「まずこの諺」・・・
【罪を憎んで人を憎まず】
犯した罪は罪として憎むべきものだが、その罪を犯した人までも憎んではならない。
「無理でしょ!」
「そう、何かが抜けてるから」
「それは?」
「風!」
マタイによる福音書
8:24-27
そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。
イエスは、「風のような存在」について教えている。
霊者は→ 風
※ 「鬼」も、元を正せば、霊者の成れの果てだ。
(三分の一が地上に降りて悪化した)
地上はその連中からの「風」(圧力)が支配している。
こうした事情を知るイエスだが、はっきりとした説明を避けた。
(詳細を述べると、要点が消されるため)
それで我々は、謎に満ちた言葉から「風」の正体を類推するしか無いのである。
■風の相手は?
イエスは、バプテストのヨハネについてこう告げた。
「あなたがたはヨハネに会おうと荒野へ出かけて行った時、彼をどんな人物だと考えていましたか。風にそよぐ葦のような人だとでも思っていたのですか。」
葦→ 風にそよぐ→ 誰?
「そよぐ人」とは
→ 「操縦を受ける人」
(一般人)
※ つまり、イエスもヨハネも風にそよぐ人ではない・・・
風にそよぐのは楽なのだが、
なびかせる方向が、「善」であれば
→ 偉人
悪であれば
→ 罪人
(だから風任せは怖い)
「風」の圧力で動いた場合でも、悪が発覚したら彼は「罪人」となる。
犯罪者は憎まれて当然・・・とされないのが戦争だ。
風に押されて戦争を繰り返した人類は、その歴史からの離脱・忘却など簡単ではない。
憎み合いから抜ける事など不可能に思える。
彼らの認識に変化が生じない限り・・・
■人が人を憎まない世界
犯罪があると、誰もが犯人を憎む。
しかし、嵐で船が沈んだ時、船を憎む人はいない。
次の認識があるからだ。
「暴風が船を沈める」
「船には悪意が無い」
空気は目に見えないが、水上ではそれだけの力を発揮する。
ならばもし、「意識を持つ風」があったとしたら?
※ 鬼は密かに・・・また神のふりをして風を吹かせる。
それを暗示している話が、「風にそよぐ葦」である。
人は常に、鬼からの操縦に晒されている。
「善の風」にそよげば「偉人」、「正義の人」となるし、
「悪への風」(鬼の圧力)にそよいだ人は、「犯罪人」になってしまうのだ。
問題は鬼が「変幻自在」であって「神にも化ける」という所。
■「風」を叱った理由
聖書は「風による人心操縦」を教えている。
特に福音書は、人と人が憎み合わないための教訓だった。
「風」が人を操って戦争や犯罪・失敗を招くのなら、その元凶である風神の正体を見抜く必要がある。
「風になびく葦」は、社会の気風に迎合する民衆を意味している。
イエスやバプテストのヨハネは、そうした眠る人々を対象としていなかった。
■鬼は偽善の常習犯
鬼は自分の正体を悟られないため、「善行」と定義付けられた気風も生じさせている。
「規則を守れ」もその一つ。
イエスが登場したエルサレムでは、「鬼風」が「気風」となっていた。
そこを支配する「サンヘドリン」は、事細かな規則を絶対視していた。
「規則」は「ガイド」であり、それを絶対視すると人の良心は眠りに落ちてしまう。
例えば、独裁者に盲従する国家は「猛獣国家」と化し、いとも簡単に平和を食い物にしてしまう。
眠りを誘う規則絶対視は、鬼が利用する偽善の一つなのだ。
■規則で事故は防げない
(防ぐのは人の認識力)
イエスは「鬼風」に逆らう人だった。
それで為政者の「気風」と衝突を繰り返し、思考停止に落ちた人々の目を覚まして行った。
→ 心に光を持て
「神への信仰心」は、盲従とイコールではない。
イエスはその点で、大切な認識を人にもたらしている。
→ 心に光を持ちなさい
「個人の光」は、昔なら「蝋燭」だが、それは「風」に弱い。
他方、現代人はまるで「懐中電灯」のような光を備えている。
それは?
→ ネットからの知識
これは、「風にも消えない光」を個人の懐に与え、いつでも即座に照らし合わせる事が可能だ。
その光を持つ人は、進化論に真似ができない認識力を与えられている。
進化論がもたらしたものは、鬼にとって都合がよい「すっぽ抜けの判断」であった。
根拠もないのに、いつの間にか主流になり、学校で無邪気な子供に教え込まれた。
これを、「鬼の隠れ蓑」だと指摘すればバカにされるほど民衆はそれを飲み込んでしまっている。
黙示録では、このように表現されている。
→ 地は「その水」を飲み干した
聖書は進化論の水が「蛇の口から出た」と教えている。
(多重の意味を持つ)
人類はそれに、まんまと引っ掛かってしまい、認識の多くを失った。
そして言う。
「規則を守らないから事故になるのだ」
(サンヘドリンの論理)
しかし、実は
「規則を守っても事故は起きる」・・・のである。
「なぜ?」
「うーん」・・・
(答え無し)
前提とした認識が間違っていたためだ。
イエスが暗示していた「風の仕業」を見落としている。
それは進化論を飲み干した頭から出ていた。
「光」は、こう教える。
→ 鬼が人を操縦する
これになびくと、破局まで導かれるだろう。
ところで、
「なびく」は「ナビ」だと思われる。
【靡く】なびく
1.風・水などに押されて横に伏す。
2.他人の威力・意志などに従う。魅力に惹かれて心を移す。
3.従う、服従する。
【navigate】ナビゲイト
1.誘導する。
2.航海する。
3.海上輸送する。
4.うまく切り抜ける。
5.導く、案内する。
妙な風を受け、無意識に靡くと、それが鬼の誘導(風)であったりするから注意。
人間社会で起きている交通戦争も、本物の戦争も、「鬼の風に靡いた結果」という認識を持つべし・・・
認識があれば、社会の波風を収める事が出来る。
「人を憎まず」は、この延長線に位置している。
この考察を「白石理論」として、心に刻んでおきたいものである。
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