応援コメント

第229話 なぜ最初が最後に?」への応援コメント


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    ヒロソ様。

    いちいち逆らう訳ではありませんが、神道には紙の教えはありません。日本人は本当に大切な事は紙で表現出来ないと思っています。その大切な事を失ってしまったので、仕方なく仏典という紙の教えを受け入れました。次は四書五経、そして聖書。しかし、それも本当に大切な事を思い出す為ですので、ほとんどの日本人は、どの教えも理解していません。その大切な事は、本当は教えなどではなく神々との無邪気な「遊び」であったようです。

    キリストの教えが大切なのでしょうか?日本人の感性ではキリストの教えではなく、キリストが大切なのです。神社も、教えではなく神々がそこに居ることが大切です。

    紙の教えを受けた者が最初の者。無邪気にキリストを受け入れた者が後の者。人間には未だ無理ですが稲荷様(御狐ではありません。)が無邪気にキリストを受け入れています。主の祈りを教わったようで、稲荷様が主の祈りの力を持つようになっています。

    教えを受け修行をした者が最初の者だと思います。つまり、教えを受けなければキリストを理解できない時代の者が最初の者で、早生まれの者です。そして、時がたち・・・母体で育まれるように・・・時が満ちて、教えを受けなくとも自ずとキリストを理解し受け入れる者が後の者だと思います。

    最初の者は、ルチフェル。後の者とは地球期の人間です。救われる事が決まっている子羊です。そのように感じます。日本人の感性は後の者のようです。日本という国は、キリストを聖書から解放する国だと思います。